・・・今より曙覧の歌のみならで其心のみやびをもしたひ学ばや、さらば常の心の汚たるを洗ひ浮世の外の月花を友とせむにつきつきしかるべしかし、かくいふは参議正四位上大蔵大輔源朝臣慶永元治二年衣更著末のむゆか、館に帰りてしるす 曙覧が清貧に処して・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・ しばらくたって私たちはみんなでそれを持って学校へ帰りました。そしてさっきも申しましたようにこれは昨日のことです。今日は実習の九日目です。朝から雨が降っていますので外の仕事はできません。うちの中で図を引いたりして遊ぼうと思うのです。これ・・・ 宮沢賢治 「イギリス海岸」
・・・「お帰り。」女は「だって……」と了解しかねていうと良人は昂奮し、「ここへ来て、そんな問題がどう片づくというんだ。そんなことで部署をすてて、それでこれからどうするというんだ?」「だって――だって――」彼女も亢奮して一生懸命だった。・・・ 宮本百合子 「新しい一夫一婦」
・・・今のように特別に暑くなった時でなくても、執務時間がやや進んでから、便所に行った帰りに、廊下から這入ると、悪い烟草の匂と汗の香とで噎せるような心持がする。それでも冬になって、煖炉を焚いて、戸を締め切っている時よりは、夏のこの頃が迥かにましであ・・・ 森鴎外 「あそび」
・・・さっさとお帰りなさい。」こう云って娘は戸を締めようとして、戸の握りを握った。娘の手は白くて、それにしなやかな指が附いている。 この時ツァウォツキイが昔持っていて、浄火の中に十六年いたうちに、ほとんど消滅した、あらゆる悪い性質が忽然今一度・・・ 著:モルナールフェレンツ 訳:森鴎外 「破落戸の昇天」
・・・そこここわがままに生えていた木もすでに緑の上衣を剥がれて、寒いか、風に慄えていると、旅帰りの椋鳥は慰め顔にも澄ましきッて囀ッている。ところへ大層急ぎ足で西の方から歩行て来るのはわずか二人の武者で、いずれも旅行の体だ。 一人は五十前後だろ・・・ 山田美妙 「武蔵野」
・・・御無理をなされますと、私はウィーンへ帰ります」 磨かれた大理石の三面鏡に包まれた光の中で、ナポレオンとルイザとは明暗を閃めかせつつ、分裂し粘着した。争う色彩の尖影が、屈折しながら鏡面で衝撃した。「陛下、お気が狂わせられたのでございま・・・ 横光利一 「ナポレオンと田虫」
・・・わたくしは国へ帰りますの。」「まだ三月ではありませんか。独逸はまだひどく寒いのです。今時分お帰りなさるようでは、あなたは御保養にいらっしゃったのではございませんね。」「いいえ。わたくしも病気なのでございます。」 この詞を、女は悲・・・ 著:リルケライネル・マリア 訳:森鴎外 「白」
・・・お供揃で猟犬や馬を率せてお下りになったんです。いらっしゃれば大概二週間位は遊興をお尽しなさって、その間は、常に寂そりしてる市中が大そう賑になるんです。お帰りのあとはいつも火の消たようですが、この時の事は、村のものの一年中の話の種になって、あ・・・ 若松賤子 「忘れ形見」
・・・に蛙が鳴き、米倉の屋根に雀が巣くう、というような情景もそうであるが、やがて郭公の来鳴くころに、弟と笹の葉とりに山に行き粽つくりし土産物ばなしここへ来る一里あまりの田のへりを近路といへばまた帰り行くなどと歌われている。農村・・・ 和辻哲郎 「歌集『涌井』を読む」
出典:青空文庫