・・・という諸氏の感想が『文学評論』に集録されている。平林たい子氏が、その感想の中で「社会主義的リアリズムは日本の作家の間に漫然と使用されているような超階級的なスローガンではないらしい」といって「我々の現実の再検討によって」日本の現実に即した創作・・・ 宮本百合子 「新年号の『文学評論』その他」
・・・、北鬼助「平林たい子論」、中川隆一「丹羽文雄論」などがのりました。三つの論文はけっしてながいものではありません。また、堂々たる大評論でもないけれど、この三つの論文を『新日本文学』がのせることのできたよろこびは、真実のこもった、ふかいものです・・・ 宮本百合子 「一九四六年の文壇」
・・・当時、山川派としてのこったのが前田河広一郎、彼の代作者里村欣三・葉山嘉樹・岩藤雪夫等及び今度脱退した黒島伝次・平林たい・小堀甚二等だ。「国際局は戦争の危険に対してソヴェト同盟を××というスローガンの下に、すべての××的読者を糾合する大き・・・ 宮本百合子 「ニッポン三週間」
・・・ 二月号の『婦人文芸』を開いたら平林たい子さんの「日記断章」という文章があり、その中で私の云った非人情という言葉がとりあげられている。平林さんは作家として、人情と芸術とが一致する境地というものを求めておられる。「文学が永久に人情と背・・・ 宮本百合子 「パァル・バックの作風その他」
・・・ 平林英子の「育むもの」はこのような意味において、或る問題をなげていたと思うのである。 十月号の婦人公論であったか、千葉亀雄氏が、婦人と読書のことについて書いておられた。その文章で、婦人がたとえばイギリスのような国でもどんなに扱われ・・・ 宮本百合子 「夫婦が作家である場合」
・・・ 文学の分野に出場して来た婦人の層は一九四六年以来、非常に立体的に広範囲になってきた。平林たい子の「盲中国兵」「終戦日誌」「一人行く」「こういう女」などは、作者のアナーキスティックな資質は変らないが、戦時中彼女がこうむった抑圧の記録とし・・・ 宮本百合子 「婦人作家」
・・・そういうことに対して女の人の十分な声、十分な立場、女が幸福であれば男も幸福であるというそういうことを主張していた佐多稲子さん、平林たい子さんのような人達、このような人達は女というものは男よりも決して劣ったものでなく、劣っているとすれば、今ま・・・ 宮本百合子 「婦人の創造力」
・・・ 全日本婦人大会というものが神近市子氏、深尾須磨子氏、平林たい子氏によって提案され、クラブ員が個人として招待されたとき、婦人民主クラブが、そういう種類の会の成立に反対したことは、右のような客観的理由をもっていたのである。 日本の真の・・・ 宮本百合子 「三つの民主主義」
新年号の『文学評論』という雑誌に、平林英子さんの「一つの典型」という小説がのっていて時節柄私にいろいろの感想をいだかせた。 民子というプロレタリア文学の仕事をしている主婦のところへ、或る日突然信州の山奥の革命的伝統をも・・・ 宮本百合子 「村からの娘」
・・・ プロレタリア文学運動の初期に、平林初之輔によって外在批評の提唱がされ、だんだん客観的・科学的な評価の基準が究明されていった。一九三三年プロレタリア文学運動がまったく抑圧されてしまうころ、まだ日本の進歩的な文学における評価の基準は、しん・・・ 宮本百合子 「両輪」
出典:青空文庫