・・・それゆえ私が芸術家としての立場を、ブルジョア階級に定め、その作品はブルジョアに訴えるために書かれるものだと、宣言したに対して、あまりに窮屈な平面的な申し出であると言っていられる。芸術に超階級的超時代的の要素があるのは、広津氏を待たないでも知・・・ 有島武郎 「広津氏に答う」
・・・もっともこれらの人の名はすでになかば歴史的に固定しているのであるからしかたがないとしても、我々はさらに、現実暴露、無解決、平面描写、劃一線の態度等の言葉によって表わされた科学的、運命論的、静止的、自己否定的の内容が、その後ようやく、第一義慾・・・ 石川啄木 「時代閉塞の現状」
・・・取りて持返して透したれば、流動体の平面斜めになりぬ。何ならむ、この薬、予が手に重くこたえたり。 じっとみまもれば心も消々になりぬ。 その口の方早や少しく減じたる。それをば命とや。あまり果敢なさに予は思わず呟きぬ。「たッたこれだけ・・・ 泉鏡花 「誓之巻」
・・・ 宗吉は、一坂戻って、段々にちょっと区劃のある、すぐに手を立てたように石坂がまた急になる、平面な処で、銀杏の葉はまだ浅し、樅、榎の梢は遠し、楯に取るべき蔭もなしに、崕の溝端に真俯向けになって、生れてはじめて、許されない禁断の果を、相馬の・・・ 泉鏡花 「売色鴨南蛮」
・・・尤もこういう痼癖がしばしば大きな詩や哲学を作り出すのであるが、二葉亭もまたこの通有癖に累いされ、直線に屈曲を見出し平面に凹凸を捜し出して苦んだり悶いたりした。坦々砥の如き何間幅の大通路を行く時も二葉亭は木の根岩角の凸凹した羊腸折や、刃を仰向・・・ 内田魯庵 「二葉亭追録」
・・・これを文芸について云えば、色彩描写たると平面描写たるとは問題でない。其れが芸術品として成上った時に於て、果して若やかな感じ即ち愉悦の情を見る人に与うるかゞ作品としての価値如何である。堅苦しく、行き詰ったような、乾き切った感じを与うるものは芸・・・ 小川未明 「若き姿の文芸」
・・・ また東のほうの平面を考えられよ。これはあまりに開けて水田が多くて地平線がすこし低いゆえ、除外せられそうなれどやはり武蔵野に相違ない。亀井戸の金糸堀のあたりから木下川辺へかけて、水田と立木と茅屋とが趣をなしているぐあいは武蔵野の一領分で・・・ 国木田独歩 「武蔵野」
・・・川はやや平面的に螺線をなして流れる。山脈は螺線さ。木の枝は一つが東に向ッて生える、その上の枝は南それから西北という工合に螺旋している。花を能く見玉え、必らず螺形に花びらが出ている。朝顔の花の咲かない間は即ち渦をなしている。釘も螺状の釘が良い・・・ 幸田露伴 「ねじくり博士」
・・・これに反して映画のほうでは、スクリーンの上の光像はまさしく二次元の平面であるにかかわらず、カメラの目が三次元的に移動しているために、観客の目はカメラの目を獲得することによってかえってほんとうに三次元的な空間の現象を観察することができる、とい・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・それは、わずかに数本の箸と手ぬぐいとだけで作った屈伸自在な人形に杯の笠を着せたものの影法師を障子の平面に踊らせるだけのものであった。そのころの田舎の饗宴の照明と言えば、大きなろうそくを燃やした昔ながらの燭台であった。しかしあのろうそくの炎の・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
出典:青空文庫