・・・若いのか年寄りなのかわからぬからである。「してみれば、私もまた一人のピコアゾーではあるまいか。最近の私は自分の名前の上に「この男年がない」という形容詞句を冠せてもよいような気がするのである。年があるということは、つまりそれ相当の若さや青・・・ 織田作之助 「髪」
・・・ 面白いほどはやり、婆さんははばかりに立つ暇もないとこぼしたので、儲けの分を増してやることにして埋め合せをつけるなど、気をつかいながら、狭山で四日過し、「――こんな眼のまわる仕事は、年寄りには無茶や。わてはやっぱし大阪で三味線ひいて・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・「やっぱり年寄がおらんとあかんて」兄はそんな情愛の籠ったことを言った。 晩には母が豆を煎っていた。「峻さん。あんたにこんなのはどうですな」そんなに言って煎りあげたのを彼の方へ寄せた。「信子が寄宿舎へ持って帰るお土産です。一升・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
・・・それはその統計のなかの九十何人という人間を考えてみれば、そのなかには女もあれば男もあり子供もあれば年寄もいるにちがいない。そして自分の不如意や病気の苦しみに力強く堪えてゆくことのできる人間もあれば、そのいずれにも堪えることのできない人間もず・・・ 梶井基次郎 「のんきな患者」
・・・ 村の年寄りが、山の小さい桐の樹を一本伐られたといって目に角立てゝ盗んだ者をせんさくしてまわったり、霜月の大師詣りを、大切な行かねばならぬことのようにして詣るのをいゝ年をしてまるで子供のようにと思って眺めていたが、私にも年寄りの気持がい・・・ 黒島伝治 「四季とその折々」
・・・で、田畑は年寄りや、女達が作ることにして、若い者は、たいてい町へ稼ぎに出ていた。健二もその一人だったのである。彼は三年ほど前から町へ働きに出、家では、親爺や妹が彼の持って帰る金をあてにして待っていた。 醤油屋は村の田畑殆んどすべての地主・・・ 黒島伝治 「豚群」
・・・そして他の若い無邪気な同窓生から大噐晩成先生などという諢名、それは年齢の相違と年寄じみた態度とから与えられた諢名を、臆病臭い微笑でもって甘受しつつ、平然として独自一個の地歩を占めつつ在学した。実際大噐晩成先生の在学態度は、その同窓間の無邪気・・・ 幸田露伴 「観画談」
・・・が、もう老い朽ちてしまえば山へも行かれず、海へも出られないでいますが、その代り小庭の朝露、縁側の夕風ぐらいに満足して、無難に平和な日を過して行けるというもので、まあ年寄はそこいらで落着いて行かなければならないのが自然なのです。山へ登るのも極・・・ 幸田露伴 「幻談」
・・・もしこれが年寄りの世話であったら、いつまでも一つ事を気に掛けるような年老いた人たちをどうしてこんなに養えるものではないと。 私たちがしきりにさがした借家も容易に見当たらなかった。好ましい住居もすくないものだった。三月の節句も近づいたころ・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・「えらい年寄になったものだぞ」 とおげんは自分ながら感心したように言って、若かった日に鏡に向ったと同じ手付で自分の眉のあたりを幾度となく撫で柔げて見た。「ひどいものじゃないかや。何だか自分の顔のような気もしないよ」 とまたお・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
出典:青空文庫