・・・そこには感情の弛緩があり、神経の鈍麻があり、理性の偽瞞がある。これがその象徴する幸福の内容である。おそらく世間における幸福がそれらを条件としているように。 私は以前とは反対に溪間を冷たく沈ませてゆく夕方を――わずかの時間しか地上に駐まら・・・ 梶井基次郎 「冬の蠅」
・・・君自身の肉体の疲労やら、精神の弛緩、情熱の喪失を、ひたすら時代のせいにして、君の怠惰を巧みに理窟附けて、人の同情を得ようとしている。行きづまった、けれどもその理由は、申し上げません等と、なんという思わせ振りな懦弱な言いかたをするのだろう。ひ・・・ 太宰治 「風の便り」
・・・三田君は、戸石君と二人きりになると、訥々たる口調で、戸石君の精神の弛緩を指摘し、も少し真剣にやろうじゃないか、と攻めるのだそうで、剣道三段の戸石君も大いに閉口して、私にその事を訴えた。「三田さんは、あんなに真面目な人ですからね、僕は、か・・・ 太宰治 「散華」
・・・内地の生活の密度が濃いとでもいうのか、または、その密度の濃い生活とぴったり噛み合う歯車が僕たちの頭脳の中にあって、それで気持の弛緩が無く一時間の旅でもあんなに大仕事のように思われて来るのかね。とにかく、伊東の半箇年は永くて、重苦しく、たっぷ・・・ 太宰治 「雀」
・・・ヨーヨーの緊張時代のあとにコリントゲームの弛緩時代がめぐって来たものと見える。 三原山投身者もこの頃減ったそうである。 三 へリオトロープ よく晴れた秋の日の午後室町三越前で電車を待っていた。右手の方の空間で何・・・ 寺田寅彦 「異質触媒作用」
・・・てその単純明白なモチーフが非常に多面的立体的に取り扱われているために、同じものの繰り返しが少しの倦怠を感ぜしめないのみならず、一歩一歩と高調する戯曲的内容を導いて最後の最頂点に達するまでに観客の注意の弛緩を許さないのであろう。 この映画・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・ただその先生の平生の勉強ぶりから推して考えてみると、映画の享楽の影響から自然学問以外の人間的なことに興味を引かれるようになり、肝心の学問の研究に没頭するに必要な緊張状態が弛緩すると困るということを、こういう独特な言葉で言い現わしたのではない・・・ 寺田寅彦 「映画と生理」
・・・ 世の中の人の心は緊張と弛緩の波の上に泛っている。正と負の両極の間に振動している。「善行日」ばかりを奨励するのも考え物ではあるまいか。少なくとも「悪行日」をこれと並行錯雑させて設けてみるのも一つの案ではあるまいか。昔の為政家は実際そ・・・ 寺田寅彦 「雑記(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・ こんな実例から見ると、こうした種類の涙は異常な不快な緊張が持続した後にそれがようやく弛緩し始める際に流れ出すものらしい。 うれし泣きでも同様である。たいてい死んだであろうと思われていたむすこが無事に帰ったとか、それほどでなくとも、・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・それでせっかくこんなに子供のように笑ったあとで、それから後のプログラムの名優達の名演技を見て緊張し感嘆し疲労するのは、少なくも今日の弛緩の半日の終曲には適しないと思ったので、すぐに劇場を出て通りかかった車に乗った。車はいつもとちがう道筋をと・・・ 寺田寅彦 「初冬の日記から」
出典:青空文庫