・・・が、僕は僕の仕事を片づけたことに満足し、何か精神的強壮剤を求める為に銀座の或本屋へ出かけることにした。 冬の日の当ったアスファルトの上には紙屑が幾つもころがっていた。それらの紙屑は光の加減か、いずれも薔薇の花にそっくりだった。僕は何もの・・・ 芥川竜之介 「歯車」
・・・健康は小さい時分にはたいへん弱い子で、これで育つだろうかと心配されたそうだが、私が知ってからは強壮で、身体こそ小さかったが、精力の強い、仕事の能く続けてできる体格であった。仕事に表わす精力は、我々子供たちを驚かすことがしばしばあったくらいで・・・ 有島武郎 「私の父と母」
・・・り候、この分にては小生が小供の時きき候と同じ昔噺を貞坊が聞き候ことも遠かるまじと思われ候、これを思えば悲しいともうれしいとも申しようなき感これありこれ必ず悲喜両方と存じ候、父上は何を申すも七十歳いかに強壮にましますとも百年のご寿命は望み難く・・・ 国木田独歩 「初孫」
・・・ 髭髯が雪のように白いところからそのあだ名を得たとはいうものの小さなきたならしい老人で、そのころ七十いくつとかでもすこぶる強壮なこつこつした体格であった。 この老人がその小さな丸い目を杉の杜の薄暗い陰でビカビカ輝らせて、黙って立って・・・ 国木田独歩 「河霧」
・・・と言っても強壮そうに日に焼けている。 東京の明るい家屋を見慣れた高瀬の眼には、屋根の下も暗い。先生のような清潔好きな人が、よくこのむさくるしい炉辺に坐って平気で煙草が喫めると思われる程だ。 高瀬の来たことを聞いて、逢いに来た町の青年・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・ 金持の淫乱な婆さんが、特に勝れて強壮な若い男を必要とするように、第三金時丸も、特に勝れて強い、労働者を必要とした。 そして、そのどちらも、それを獲ることが能きた。 だが、第三金時丸なり、又は淫乱婆としては、それは必要欠くべから・・・ 葉山嘉樹 「労働者の居ない船」
・・・は劇剤にして、肝油・鉄剤は尋常の強壮滋潤薬なり。劇痛の患者を救わんとするには「モルヒネ」の皮下注射方もっとも適当にして、医師も常にこの方に依頼して一時の急に応ずといえども、その劇痛のよって来る所の原因を求めたらば、あるいは全身の貧血、神経の・・・ 福沢諭吉 「政事と教育と分離すべし」
・・・Sport で鍛錬した、強壮なお体で、どんな女でも来てみろと云うお心持で、長椅子に掛けていらっしゃったあなたに失望いたしたので、昔の世慣れない姿勢の悪い青年でいらっしゃらないのに当惑いたしたのでございます。それで客間に這入り兼ねていました。・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・白く美しい強壮な獣のようなアダ。フランスの堅気な旧教的な美を代表するアントワネット。強烈な火の急流のようなアンナ、または男がいつも我流に女を愛して平然としていることその他、女性の家庭生活の不満に充分苦しみながら「でも、大半は婦人に敵対してい・・・ 宮本百合子 「アンネット」
・・・生きて強壮な人々は、平和のための会議を何故風光明媚なジェネの湖畔でだけ開くのであろう。 やがてそろそろ薄闇の這いよって来た砲台の裏からまわって、傍のいら草の中に錆びた空罐などの散っている急な小径を下って来た。すると、今朝の霜でゆるんだま・・・ 宮本百合子 「女靴の跡」
出典:青空文庫