・・・ 伝え聞く、摩耶山とうりてんのうじ夫人堂の御像は、その昔梁の武帝、女人の産に悩む者あるを憐み、仏母摩耶夫人の影像を造りて大功徳を修しけるを、空海上人入唐の時、我が朝に斎き帰りしものとよ。 知ることの浅く、尋ぬること怠るか、はたそれ詣・・・ 泉鏡花 「一景話題」
・・・ 家へ帰って、摩耶夫人の影像――これだと速に説教が出来る、先刻の、花御堂の、あかちゃんの御母ぎみ――頂餅と華をささげたのに、香をたいて、それから記しはじめた。昭和六年七月 泉鏡花 「古狢」
・・・この一句には坂田でなければ言えないという個性的な影像があり、そして坂田という人の一生を宿命的に象徴しているともいえよう。苦労を掛けた糟糠の妻は「阿呆な将棋をさしなはんなや」という言葉を遺言にして死に、娘は男を作って駈落ちし、そして、一生一代・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・東京近くでは武州高雄山からも、今は知らぬが以前は荼枳尼の影像を与えたものである。諸国に荼枳尼天を祭ったところは少からずあるが、今その法を修する者はあるまい。まして魔法の邪法のといわれるものであるから、真に修法する者は全くあるまいが、修法の事・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
・・・近代の芸術家は、誰しも一度は、そんな姿と大同小異の影像を、こっそりあこがれた事がある。実に滑稽です。大工のせがれがショパンにあこがれ、だんだん横に太るばかりで、脚気を病み、顔は蟹の甲羅の如く真四角、髪の毛は、海の風に靡かすどころか、頭のてっ・・・ 太宰治 「風の便り」
・・・彼の風貌は、馬場の形容を基にして私が描いて置いた好悪ふたつの影像のうち、わるいほうの影像と一分一厘の間隙もなくぴったり重なり合った。そうして尚さらいけないことには、そのときの太宰の服装がそっくり、馬場のかねがね最もいみきらっているたちのもの・・・ 太宰治 「ダス・ゲマイネ」
・・・ このような女がいたなら、死なずにすむのだがというような、お互いの胸の奥底にひめたる、あこがれの人の影像をさぐり合っていたのである。客人は、二十七八歳の、弱い側妻を求めていた。向島の一隅の、しもたやの二階を借りて住まっていて、五歳のてて・・・ 太宰治 「雌に就いて」
・・・見る見るそのひとは若くなって、まるで十二、三の少女になり、私の思い出の中の或る影像とぴったり重って来た。「シズエ子ちゃん。」 吉だ。「出よう、出よう。それとも何か、買いたい雑誌でもあるの?」「いいえ。アリエルというご本を買い・・・ 太宰治 「メリイクリスマス」
・・・そうして丹波の山奥から出て来た観覧者の目に映るような美しい影像はもう再び認める時はなくなってしまう。これは実にその人にとっては取り返しのつかない損失でなければならない。 このような人は単に自分の担任の建築や美術品のみならず、他の同種のも・・・ 寺田寅彦 「案内者」
・・・のである。それが一夜の火事でだいぶんに変わった。こういう変化は無論不可逆的変化である。これからさきどんなに美しく変わるかしれないが、大正十二年以前に、大学の門をくぐった人々の中にある「池」の影像はやはり火災以前のそれでなければならない。・・・ 寺田寅彦 「池」
出典:青空文庫