・・・けれどもそれがいざ役に立つとなるとけっして嬉しい顔はしなかった。彼らはその日の佗びしさから推して、二日後に来る暗い夜の景色を想像したのである。「十三日に降ったら大変だなあ」とOが独言のように云った。「天気の時より病人が増えるだろう」・・・ 夏目漱石 「初秋の一日」
・・・男が私の話を聞くことの出来る距離へ近づいたら、もう私は彼女の運命に少しでも役に立つような働が出来なくなるであろう。「僕は君の頼みはどんなことでも為よう。君の今一番して欲しいことは何だい」と私は訊いた。「私の頼みたいことわね。このまま・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・学者の頭数はあれども、役に立つべき学者なきがゆえなり。今の学者が今より勉強して幾年を過ぎなば、この雇の外国人をやめてこれに交代すべきや。新聞紙の政談に志すも、この交代の日は容易に来ることなかるべし。 また、一昨年一二月八日に金星の日食あ・・・ 福沢諭吉 「学者安心論」
・・・ここに集められている数篇の印象記は、所謂文学的すぎる欠点にかかわらず、或る程度までは、必ずその説明の役に立つのだ。 読者諸君。自分は約束する。この次の本には、もっと組織的に、全般的にソヴェト同盟の生活を紹介することを。同時に、きっと、も・・・ 宮本百合子 「若者の言葉(『新しきシベリアを横切る』)」
・・・の人々に、シーモノフが工場の文学サークルから文学的誕生をしてのびて来るそれ以前の時期において、ソヴェト社会は、その勤労人民の日常生活にどんな文化、文学の開花の可能性を準備していたかという実際を知らせる役に立つ。一九二九年に、ソヴェトの文学サ・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第九巻)」
・・・某は香木を三斎公に参らせ、さて御願い申候は、主命大切と心得候ためとは申ながら、御役に立つべき侍一人討ち果たし候段、恐れ入り候えば、切腹仰附けられたくと申候。三斎公聞召され、某に仰せられ候はその方が申条一々もっとも至極せり、たとい香木は貴から・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書」
・・・某は香木を松向寺殿に参らせ、さて御願い申候は、主命大切と心得候ためとは申ながら、御役に立つべき侍一人討果たし候段、恐入り候えば、切腹仰附けられたしと申候。松向寺殿聞召され、某に仰せられ候は、その方が申条一々もっとも至極なり、たとい香木は貴か・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書(初稿)」
・・・けれども、自分のその気持を秋三に知らさない限り、自分の骨折りが何の役に立つだろう。そう思うと彼には秋三の罵倒が眼に見えた。が、また自分に安次を引き受ける気持のある以上、敵の罵倒に反抗し得るだけの力は、自然出て来るであろうと思われた。・・・ 横光利一 「南北」
・・・ことを実行するよりは、「何か役に立つ」ことを実行する方が忠である。現下の険悪な世情は、政治家が聖勅に違背したことに基づく。というのは、天下万民をして「各々その志を遂げ、人心をして倦まざらしめんことを要す」との聖旨を奉戴しなかったことに基づく・・・ 和辻哲郎 「蝸牛の角」
・・・一般の人に通じると否とにかかわらず、ただ人類の美の事業に役に立つのか否かという事が大切なのだ」という。ここに「人類」は明らかに一つの理念として意味せられている。それはなお岸田君の「自然」の考え方によっても裏づけられる。自然はそれ自身には「心・・・ 和辻哲郎 「『劉生画集及芸術観』について」
出典:青空文庫