・・・視線の中へ、自動車がのろのろと徐行して来た。旅館では河豚を出さぬ習慣だから、客はわざわざ料亭まで足を運ぶ、その三町もない道を贅沢な自動車だった。ピリケンの横丁へ折れて行った。 間もなく、その料亭へよばれた女をのせて、人力車が三台横丁へは・・・ 織田作之助 「雪の夜」
・・・ 十時出帆徐行。運河の土手の上をまっ黒な子供の群れが船と並行して走りながら口々にわめいていた。船ではだれも相手にしないので一人減り二人減り、最後に残った二三人が滑稽な身ぶりをして見せた。そして暑い土手をとぼとぼ引き返して行った。両岸こと・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
・・・こんな話をしながら徐行していると、車窓の外を通りかかった二三人の学生が大きな声で話をしている。その話し声の中に突然「ナンジャモンジャ」という一語だけがハッキリ聞きとれた。同じ環境の中では人間はやはり同じことを考えるものと見える。 アラン・・・ 寺田寅彦 「藤棚の陰から」
・・・ 永い間徐行し、シグナルの赤や緑の色が見える構内で一度とまり、そろそろ列車はウラジヴォストクのプラットフォームへ入った。空の荷物運搬車が凍ったコンクリートの上にある。二人か三人の駅員が、眠げにカンテラをふって歩いて来た。 ――誰も出・・・ 宮本百合子 「新しきシベリアを横切る」
・・・やがて、列車は徐行してプラットフォームへ入って来た。真先にそこから現れたのが、ドイツの革命作家ヨハンス・ベッヘルだ。続いて、キッシュ、ビリー・ハルツハイム、エルンスト・グレーゼル。ハンガリーのプロレタリア詩人カニャート。婦人作家も来た。ソヴ・・・ 宮本百合子 「ソヴェト文壇の現状」
・・・ 遊覧自動車はそれから東へ東へととって肉市場スミス市場のアーク燈に照らされた白い鉄骨アーケードの下を徐行した。古代ロンドンの城門の一つをくぐった。 一本の街路樹もない、暗い狭い街が現れた。ガス燈が陰気にひのけない低い窓々を照し出して・・・ 宮本百合子 「ロンドン一九二九年」
・・・駅の構内に入る為めに、列車が暫く野っぱの真中で徐行し始めた時には、乗客は殆ど総立ちになった。何か異様が起った。今こそ危いと云う感が一同の胸を貫き、じっと場席にいたたまれなくさせたのだ。 停車した追分駅では、消防夫が、抜刀で、列車の下を捜・・・ 宮本百合子 「私の覚え書」
出典:青空文庫