とくがわいえさだ【徳川家定】
[1824〜1858]江戸幕府第13代将軍。在職1853〜1858。家慶の四男。生来病弱のため、政治は老中に一任。後嗣がなく、将軍継嗣問題が起きた。
とくがわいえさと【徳川家達】
[1863〜1940]政治家。田安慶頼の三男。幼名、亀之助。明治元年(1868)徳川宗家を相続。同23年、貴族院議員となり、以後、貴族院議長・日本赤十字社社長などを歴任、ワシントン軍縮会議の全権委員も務めた。
とくがわいえしげ【徳川家重】
[1712〜1761]江戸幕府第9代将軍。在職1745〜1760。吉宗の長男。生来病弱のため政務に耐えられず、側用人大岡忠光が権勢を振るった。
とくがわいえつぐ【徳川家継】
[1709〜1716]江戸幕府第7代将軍。在職1713〜1716。家宣の四男。4歳で家督を相続。間部詮房 (まなべあきふさ) ・新井白石の補佐により、幕府刷新が行われた。
とくがわいえつな【徳川家綱】
[1641〜1680]江戸幕府第4代将軍。在職1651〜1680。家光の長男。生来病弱のため、治政初期は保科正之・松平信綱らの老中が補佐し、後半は大老酒井忠清が実権を握った。
とくがわいえなり【徳川家斉】
[1773〜1841]江戸幕府第11代将軍。在職1787〜1837。一橋治済 (ひとつばしはるさだ) の長男。松平定信を老中に登用し、寛政の改革を行った。定信の失脚後はみずから政治を執り、ぜいたくな生活を好み、文化・文政の奢侈 (しゃし) 時代をもたらした。
とくがわいえのぶ【徳川家宣】
[1662〜1712]江戸幕府第6代将軍。在職1709〜1712。甲府藩主徳川綱重の長男。綱吉の養嗣子。柳沢吉保を退け、間部詮房 (まなべあきふさ) ・新井白石を重用して政治の刷新を行った。
とくがわいえはる【徳川家治】
[1737〜1786]江戸幕府第10代将軍。在職1760〜1786。家重の長男。田沼意次 (たぬまおきつぐ) が政治の実権を握り、商品経済の発展をみたが、他方、綱紀の退廃を招いた。
とくがわいえみつ【徳川家光】
[1604〜1651]江戸幕府第3代将軍。在職1623〜1651。秀忠の二男。幼名、竹千代。家康・秀忠の遺志を継ぎ、武家諸法度・参勤交代の制などを整え、幕政の基礎を築いた。また、キリシタンを弾圧して鎖国体制を強化した。
とくがわいえもち【徳川家茂】
[1846〜1866]江戸幕府第14代将軍。在職1859〜1866。紀州藩主徳川斉順の長男。幼名、慶福 (よしとみ) 。将軍継嗣問題で井伊直弼 (いいなおすけ) に推されて将軍となり、井伊の死後、皇女和宮 (かずのみや) と結婚して公武合体を進めたが、第二次長州征伐の際、大坂城で病死。