・・・わたくしのことは心配するな」といってきた。 死刑! わたくしには、まことに自然の成り行きである。これでよいのである。かねての覚悟あるべきはずである。わたくしにとっては、世にある人びとの思うがごとく、いまわしいものでも、おそろしいものでも・・・ 幸徳秋水 「死刑の前」
・・・その人は母親に、自分たちのしている仕事のことを話して、中にいる息子さんの事には少しも心配しなくてもいゝと云った。「救援会」の人だった。然し母親は、駐在所の旦那が云っているように、あんな恐ろしいことをした息子の面倒を見てくれるという不思議な人・・・ 小林多喜二 「争われない事実」
・・・敷へ俊雄を引き入れまだ笑ったばかりの耳元へ旦那のお来臨と二十銭銀貨に忠義を売るお何どんの注進ちぇッと舌打ちしながら明日と詞約えて裏口から逃しやッたる跡の気のもめ方もしや以前の歌川へ火が附きはすまいかと心配ありげに撲いた吸殻、落ちかけて落ちぬ・・・ 斎藤緑雨 「かくれんぼ」
・・・其の癖随分贅沢を致しますから段々貧に迫りますので、御新造が心配をいたします。なれども当人は平気で、口の内で謡をうたい、或はふいと床から起上って足踏をいたして、ぐるりと廻って、戸棚の前へぴたりと坐ったり何か変なことをいたし、まるで狂人じみて居・・・ 著:三遊亭円朝 校訂:鈴木行三 「梅若七兵衞」
・・・その時の私は再び起つこともできまいかと人に心配されたほどで、茶の間に集まる子供らまで一時沈まり返ってしまった。 どうかすると、子供らのすることは、病んでいる私をいらいらさせた。「とうさんをおこらせることが、とうさんのからだにはいちば・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・それをみな心配げな、真率な、忙しく右左へ動く目でするのである。顔は鋭い空気に晒されて、少なくも六十年を経ている。骨折沢山の生涯のために流した毒々しい汗で腐蝕せられて、褐色になっている。この顔は初めは幅広く肥えていたのである。しかし肉はいつの・・・ 著:シュミットボンウィルヘルム 訳:森鴎外 「鴉」
・・・「御心配には及びません。私がちゃんとよくして上げましょう。」と馬が言いました。「王女は全く世界中で一ばん美しい人にそういありません。今でもちゃんと生きてお出でになります。けれども世界の一ばんはての遠いところにおいでになるのです。そこ・・・ 鈴木三重吉 「黄金鳥」
・・・ 子どもは顔をおかあさんの胸にうずめて、心配で胸の動悸は小時計のようにうちました。「私こわい」 と小さな声で言います。「天に在します神様――お助けください」 とおかあさんはいのりました。 と黒鳥の歌が松の木の間で聞こ・・・ 著:ストリンドベリアウグスト 訳:有島武郎 「真夏の夢」
・・・彼女の行末のことだの、心配だのを、彼女の目の前で平気に論判します。スバーは、極く小さい子供の時から、神が何かの祟りのように自分を父の家にお遣しになったのを知っていたのでなみの人々から遠慮し、一人だけ離れて暮して行こうとしました。若し皆が、彼・・・ 著:タゴールラビンドラナート 訳:宮本百合子 「唖娘スバー」
・・・きょうだい中で、母のことを心配しているのは自分だけだと、ひそかに悲壮の感に打たれている。 父は、五年まえに死んでいる。けれども、くらしの不安はない。要するに、いい家庭だ。ときどき皆、一様におそろしく退屈することがあるので、これには閉口で・・・ 太宰治 「愛と美について」
出典:青空文庫