・・・いったい二十世紀の文明国と名乗る国がらからすれば、内閣に一人や二人のしかるべき科学大臣がいてもよさそうであり、国防最高幹部にすぐれた科学者参謀の三四人がいても悪いことはなさそうに思えるのであるが、これも畢竟は世の中を知らぬ老学究の机上の空想・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・女ならずばわれも行かんと思えるはエレーンである。 木に倚るは蔦、まつわりて幾世を離れず、宵に逢いて朝に分るる君と我の、われにはまつわるべき月日もあらず。繊き身の寄り添わば、幹吹く嵐に、根なしかずらと倒れもやせん。寄り添わずば、人知らずひ・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・去れど城を守るものも、城を攻むるものも、おのが叫びの纔かにやんで、この深き響きを不用意に聞き得たるとき耻ずかしと思えるはなし。ウィリアムは盾に凝る血の痕を見て「汝われをも呪うか」と剣を以て三たび夜叉の面を叩く。ルーファスは「烏なれば闇にも隠・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
・・・ただこんな晩であったように思える。そうしてもう少し行けば分るように思える。分っては大変だから、分らないうちに早く捨ててしまって、安心しなくってはならないように思える。自分はますます足を早めた。 雨はさっきから降っている。路はだんだん暗く・・・ 夏目漱石 「夢十夜」
・・・これが昼間見たのだったら何の不思議もなくて倉庫につけられた非常階段だと思えるだろうし、又それほどにまで気を止めないんだろうが、何しろ、私は胸へピッタリ、メスの腹でも当てられたような戦慄を感じた。 私は予感があった。この歪んだ階段を昇ると・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・否、小説ばかりじゃない、一体の人生観という奴が私にゃ然う思えるんだよ……思えると云うと語弊があるが、那様気がするのだ。どうも莫迦々々しくてね。だから作をする時にゃ、精神は非常に緊張させるけれども、心には遊びがある。丁度、撃劒で丁々と撃合って・・・ 二葉亭四迷 「私は懐疑派だ」
・・・ 一、輿論というと、むずかしく思えるけれども、誰でもきょうの現実に即して考えていられる生活のあれこれが、それぞれに一つずつの見解輿論のもとになっていると思います。 東京の町なかでこの間のうちあちらこちら盆踊の太鼓が鳴りました。ハア、・・・ 宮本百合子 「朝の話」
・・・ このような例は過去の文化上の貴重な遺産の整理ということについて、決して笑話に終らない本質をもっていると思える。 ドイツでは、大層盛大なワグナア祭典が行われていたり、ゲーテやシラーについて政府としての評価が語られたりしているようだ。・・・ 宮本百合子 「明日の実力の為に」
遠望であるから細かいところは見えないものと承知していただきたい。 ごく大ざっぱな観察ではあるが、美術院展覧会を両分している洋画と日本画とは、時を同じゅうして相並んでいるのが不思議に思えるほど、気分や態度を異にしている。もちろんそれ・・・ 和辻哲郎 「院展遠望」
・・・しかも彼は少数の物象にとどまることをしないで、彼を取り巻く無数の物象に、多情と思えるほどな愛情をふり撒く。『地下一尺集』の諸篇はこの多情な、自然及び芸術との「情事」の輝かしい記録である。伊豆の海岸。江戸。京、大阪。長崎。奈良。北京。徐州。洛・・・ 和辻哲郎 「享楽人」
出典:青空文庫