・・・ 数十万の人間が、怨みも、咎もないのに、戦場で殺し合っていたように、―― 眼に立たないように、工場や、農村や、船や、等々で、なし崩しに消されて行く、一つの生贄で、彼もあった。―― 一人前の水夫になりかけていた、水夫見習は、も・・・ 葉山嘉樹 「労働者の居ない船」
・・・養家に行きて気随気儘に身を持崩し妻に疏まれ、又は由なき事に舅を恨み譏りて家内に風波を起し、終に離縁されても其身の恥辱とするに足らざるか。ソンナ不理窟はなかる可し。女子の身に恥ず可きことは男子に於ても亦恥ず可き所のものなり。故に父母の子を教訓・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・みな自らがもとなのじゃ。恨みの心は修羅となる。かけても他人は恨むでない。」 穂吉はこれをぼんやり夢のように聞いていました。子供がもう厭きて「遁がしてやるよ」といって外へ連れて出たのでした。そのとき、ポキッと脚を折ったのです。その両脚は今・・・ 宮沢賢治 「二十六夜」
・・・私の怨みは忘れても、そればっかりは勘弁出来ない!」 ドミトリーに見つからないようにかくしておいた聖母像までもち出して、グラフィーラは拝もうとした。が結局こんな絵が何のたしになる!「ひょっとしたら、これでミーチャは私に愛想をつかしたん・・・ 宮本百合子 「「インガ」」
・・・この二人はかつてある跛人の事でけんかをしたことがあるので今日までも互いに恨みを含んで怒り合っていた。アウシュコルンは糸くずのような塵同様なものを拾ったところをかねての敵に見つけられたから、内心すこぶる恥ずかしく思った。そこで手早く上衣の下に・・・ 著:モーパッサン ギ・ド 訳:国木田独歩 「糸くず」
・・・自分の任用したものは、年来それぞれの職分を尽くして来るうちに、人の怨みをも買っていよう。少くも娼嫉の的になっているには違いない。そうしてみれば、強いて彼らにながらえていろというのは、通達した考えではないかも知れない。殉死を許してやったのは慈・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・人を怨み世を怨む抑鬱不平の念が潮のように涌いて来た。 今娘が戸の握りを握って、永遠に別れて帰ろうとするツァウォツキイの鼻のさきで、戸を締め切ろうとした瞬間に、ツァウォツキイは右の拳を振り上げて、娘の白い、小さい手を打った。 娘はツァ・・・ 著:モルナールフェレンツ 訳:森鴎外 「破落戸の昇天」
・・・……露の底の松虫もろとも空しく怨みに咽んでいる。それならそれが生きていた内は栄華をしていたか。なかなかそうばかりでもない世が戦国だものを。武士は例外だが。ただの百姓や商人など鋤鍬や帳面のほかはあまり手に取ッたこともないものが「サア軍だ」と駆・・・ 山田美妙 「武蔵野」
・・・ またもし君が彼女を裏切った日が来たならば、「私はあなたの夢となって生涯お怨みいたします。」と云われなければ君は不徳な男である。 痛快な夢 私は喧嘩をした。負けた。蹴り落された。どこへともなく素張らしい勢いで落・・・ 横光利一 「夢もろもろ」
・・・そうしてそれがその人たちのツマラないわがままから出ている場合でも、私を怨み憤ります。私は彼らの眼に冷淡な薄情な男として映るのです。 ことに私は時々何かの問題のためにひどい憂愁に閉じ込められる事があります。私はいくらあせってもこの問題を逃・・・ 和辻哲郎 「ある思想家の手紙」
出典:青空文庫