・・・はじめは、我身の不束ばかりと、怨めしいも、口惜いも、ただ謹でいましたが、一年二年と経ちますうちに、よくその心が解りました。――夫をはじめ、――私の身につきました、……実家で預ります財産に、目をつけているのです。いまは月々のその利分で、……そ・・・ 泉鏡花 「山吹」
・・・「せめて何か、口約束でもした中と言うならだが、元々そんなことのあったわけじゃなし、それにお前の話を聞いて見りゃ一々もっともで、どうもこれ、怨みたくも怨みようがねえ……けれど、俺は理屈はなしに怨めしいんで……」「…………」「何もお・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・レントゲンをかけ腎臓結核だときまると、華陽堂病院が恨めしいよりも、むしろなつかしかった。命が惜しければ入院しなさいと言われた。あわてて入院した。 附添いのため、店を構っていられなかったので、蝶子はやむなく、店を閉めた。果物が腐って行くこ・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・女房はわっと泣きだして、それを今日まで平気でいたお前が恨めしい。畢竟わしをばかにしているからだ。もうこれぎり実家へ帰って死んでしまうと言って、箪笥から着物などを引っ張りだす。やがて二人で大立廻りをやって、女房は髪を乱して向いの船頭の家へ逃げ・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・と余は茶碗を畳の上へ置いて、卒業が恨めしいと云う顔をして見せる。 津田君はこの一言に少々同情の念を起したと見えて「なるほど少し瘠せたようだぜ、よほど苦しいのだろう」と云う。気のせいか当人は学士になってから少々肥ったように見えるのが癪に障・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
・・・と碌さんは恨めしい顔をして、同じく立ち留った。「何だか、情ない顔をしているね。苦しいかい」「実際情けないんだ」「どこか痛むかい」「豆が一面に出来て、たまらない」「困ったな。よっぽど痛いかい。僕の肩へつらまったら、どうだね・・・ 夏目漱石 「二百十日」
・・・ 慶次郎は、少し恨めしいように空を見まわしました。「みんなその楊の木に吸われてしまったのだろうか。」私はまさかそうでもないとは思いながら斯う言いました。「だって野原中の鳥が、みんな吸いこまれるってそんなことはないだろう。」慶次郎・・・ 宮沢賢治 「鳥をとるやなぎ」
・・・ そう知りながら、恨めしいような心持や、憎らしいような心持が、忘れようとしても忘られず心にこびりついているから、彼はせつないのである。 もうやがて近々に別れなければならない、耕地を見歩きながら、このことを思う彼の眼には、いつでも止め・・・ 宮本百合子 「禰宜様宮田」
・・・幽霊は怨めしいと云って出るものには極まって居る。もし東京に残って居る鴎外の昔の敵がこの文を読んだなら、彼等はあるいは予を以て幽霊となし、我言を以て怨しいという声となすかも知れない。しかしそれは推測を誤って居る。敵が鴎外と云う名を標的にして矢・・・ 森鴎外 「鴎外漁史とは誰ぞ」
出典:青空文庫