・・・大悪党だと思った。そのうちに、ふとあなたの私に対するネルリのような、ひねこびた熱い強烈な愛情をずっと奥底に感じた。ちがう。ちがうと首をふったが、その、冷く装うてはいるが、ドストエフスキイふうのはげしく錯乱したあなたの愛情が私のからだをかっか・・・ 太宰治 「川端康成へ」
・・・と佐伯は、ほんものの悪党みたいな、下品な口をきいたので、私は興醒めして、しきりに悲しかった。佐伯の隣りの椅子に、腰をおろして、「五一郎君、」とはじめて佐伯の名を、溜息と共に言い、「そんなふてくされたものの言いかたをするものじゃないよ。君・・・ 太宰治 「乞食学生」
・・・二つ名のある、というのが日本の歌舞伎では悪党を形容する言葉になっているようだが、サタンは、二つや三つどころではない。デイアボロス、ベリアル、ベルゼブル、悪鬼の首、この世の君、この世の神、訴うるもの、試むる者、悪しき者、人殺、虚偽の父、亡す者・・・ 太宰治 「誰」
・・・ 娘さんは二階へ行き、やがて、おじさんが糞まじめな顔をして二階から降りて来た。悪党のような顔をしている。「用事ってのは、酒だろう。」と言う。 僕はたじろいだが、しかし、気を取り直し、「うん、飲ませてくれるなら、いつだって飲む・・・ 太宰治 「未帰還の友に」
・・・君なんざあ、金持の悪党を相手にした事がないから、そんなに呑気なんだ。君はディッキンスの両都物語りと云う本を読んだ事があるか」「ないよ。伊賀の水月は読んだが、ディッキンスは読まない」「それだからなお貧民に同情が薄いんだ。――あの本のね・・・ 夏目漱石 「二百十日」
・・・ 狐が実に悪党らしい顔をして言いました。 「へん。貴様ら三疋ばかり食い殺してやってもいいが、俺もけがでもするとつまらないや。おれはもっといい食べものがあるんだ」 そして函をかついで逃げ出そうとしました。 「待てこら」とホモイ・・・ 宮沢賢治 「貝の火」
・・・ほやほやの悪党だ。悪いことをしてここへ来ながら星だなんて鼻にかけるのは海の底でははやらないさ。おいらだって空に居た時は第一等の軍人だぜ。」 ポウセ童子が悲しそうに上を見ました。 もう雨がやんで雲がすっかりなくなり海の水もまるで硝子の・・・ 宮沢賢治 「双子の星」
・・・わたしたちは、善意の途の上で悪党どもに面接するという経験をもった。その典型は権力の諸関係の大きさにひとしく大きい。権力の諸関係の本質と相通じて、怪物的である。そして、現代における大きい典型の再発見の妙味は、それが、ルネッサンスの世界、バルザ・・・ 宮本百合子 「心に疼く欲求がある」
・・・等と銘し、室生犀星氏が悪党の世界へ想念と趣向の遠足を試みている小説等とともに、痛い歯の根を押して見るような痛痒さの病的な味を、読者に迎えられたのであった。 石坂洋次郎氏の「麦死なず」という小説が、左翼運動への無理解や自己解剖を巧に作中人・・・ 宮本百合子 「今日の文学の展望」
・・・ 奇妙な別離「魂と魂との結合が完きものであったときには、この美しい感情の極致を傷けるいかなるものも致命的なのだ。悪党どもなら匕首を振った後に仲直りするような場合にも、愛する者同志は、ただ一瞥一語のためにも仲をた・・・ 宮本百合子 「バルザックについてのノート」
出典:青空文庫