・・・始めて大橋の上に立って、宍道湖の天に群っている雲の峰を眺めた時、二人の心には云い合せたように、悲壮な感激が催された。考えて見れば一行は、故郷の熊本を後にしてから、ちょうどこれで旅の空に四度目の夏を迎えるのであった。 彼等はまず京橋界隈の・・・ 芥川竜之介 「或敵打の話」
・・・しかしとうとう晩年には悲壮なつきだったことに堪えられないようになりました。この聖徒も時々書斎の梁に恐怖を感じたのは有名です。けれども聖徒の数にはいっているくらいですから、もちろん自殺したのではありません。」 第四の龕の中の半身像は我々日・・・ 芥川竜之介 「河童」
・・・その草もない薄闇の路に、銃身を並べた一隊の兵が、白襷ばかり仄かせながら、静かに靴を鳴らして行くのは、悲壮な光景に違いなかった。現に指揮官のM大尉なぞは、この隊の先頭に立った時から、別人のように口数の少い、沈んだ顔色をしているのだった。が、兵・・・ 芥川竜之介 「将軍」
・・・……ところで俺の弟は、兄貴の志をついで天才画家になるとしても、とにかく俺が死なねばならぬというのは悲壮な事実だよ。死にさえすれば、ことに若死にさえすればたいていの奴は天才になるに決まっているんだ。死はいかなる場合においても、おごそかな悲しい・・・ 有島武郎 「ドモ又の死」
・・・七 我らはしばしば悲壮な努力に眼を張って驚嘆する。それは二つの道のうち一つだけを選み取って、傍目もふらず進み行く人の努力である。かの赤き道を胸張りひろげて走る人、またかの青き道をたじろぎもせず歩む人。それをながめている人の心・・・ 有島武郎 「二つの道」
・・・それは山といわず野といわず北国の天地を悲壮な熱情の舞台にする。 或る冴えた晩秋の朝であった。霜の上には薄い牛乳のような色の靄が青白く澱んでいた。私は早起きして表戸の野に新聞紙を拾いに出ると、東にあった二個の太陽を見出した。私は顔も洗わず・・・ 有島武郎 「北海道に就いての印象」
・・・ 虎の嘯くとよりは、竜の吟ずるがごとき、凄烈悲壮な声であります。 ウオオオオ! 三声を続けて鳴いたと思うと……雪をかついだ、太く逞しい、しかし痩せた、一頭の和犬、むく犬の、耳の青竹をそいだように立ったのが、吹雪の滝を、上の峰から・・・ 泉鏡花 「雪霊続記」
・・・ いうにいえない悲壮な感じが、このとき、少年の胸にわき上がりました。「どんな、遠くへでも歩いていこう。」 少年は、おばあさんから聞いた温泉を思い出して心でいいました。 いよいよ夜が明けると太陽が笑いました。このとき、少年は、・・・ 小川未明 「石をのせた車」
・・・ 悲壮な気持ちで、門を入ろうとすると、内部からがやがや人声がきこえました。 一足前、近所の人たちが、倒れている老人を連れてきたのです。 B医師は、すぐに老人に注射を打ちました。「気がついた。おじいさん泣かんでいい。ここは医者・・・ 小川未明 「三月の空の下」
・・・行った気持には、悲壮なものがあった。彼等は、大学を捨てたばかりでなく、一切の都会的享楽から離れて、農村に走り、農奴と伍した。そして、自から耕牧して、彼等と共に、苦楽を分った。彼等の生活が正しいばかりでなく、愛するためには、身を以て殉ぜんとし・・・ 小川未明 「純情主義を想う」
出典:青空文庫