・・・ 金応瑞は義州の統軍亭へ駈けつけ、憔悴した宣祖王の竜顔を拝した。「わたくしのこうして居りますからは、どうかお心をお休めなさりとうございまする。」 宣祖王は悲しそうに微笑した。「倭将は鬼神よりも強いと云うことじゃ。もしそちに打・・・ 芥川竜之介 「金将軍」
・・・ 島木さんは大分憔悴していた。従って双目だけ大きい気がした。話題は多分刊行中の長塚節全集のことだったであろう。島木さんは談の某君に及ぶや、苦笑と一しょに「下司ですなあ」と言った。それは「下」の字に力を入れた、頗る特色のある言いかただった・・・ 芥川竜之介 「島木赤彦氏」
・・・とあだ名した滝田君とは別人かと思うほど憔悴していた。が、僕や僕と一しょに行った室生犀生君に画帖などを示し、相変らず元気に話をした。 滝田君に最後に会ったのは今年の初夏、丁度ドラマ・リイグの見物日に新橋演舞場へ行った時である。小康を得た滝・・・ 芥川竜之介 「滝田哲太郎君」
・・・ 鼠色の壁と、不景気なガラス窓とに囲まれた、伽藍のような講堂には、何百人かの罹災民諸君が、雑然として、憔悴した顔を並べていた。垢じみた浴衣で、肌っこに白雲のある男の児をおぶった、おかみさんもあった。よごれた、薄いどてらに手ぬぐいの帯をし・・・ 芥川竜之介 「水の三日」
・・・ 容貌甚だ憔悴し、全身黒み痩せて、爪長く髯短し、ただこれのみならむには、一般乞食と変わらざれども、一度その鼻を見る時は、誰人といえども、造化の奇を弄するも、また甚だしきに、驚かざるを得ざるなり。鼻は大にして高く、しかも幅広に膨れたり。そ・・・ 泉鏡花 「妖僧記」
・・・どの顔も蒼く憔悴していた。 脚や内臓をやられて歩けない者は、あとから担架で運ばれてきた。「あら、君もやられたんか。」大西は、意外げに、皮肉に笑った。「わざと、ちょっぴり怪我をしたんじゃないか?」「…………。」 腕を頸に吊らく・・・ 黒島伝治 「氷河」
・・・そして、思いなしか、眼の光にも曇りが出来て、何となしに憔悴した表情がこの人の全外容に表われているのであった。 私は別に何事も深く尋ねてもみなかった。ただ地震当時の模様など聞いたばかりで帰って来た。 その後また行ってみると、今度はまた・・・ 寺田寅彦 「雑記(2[#「2」はローマ数字、1-13-22])」
・・・ 子規の葬式の日、田端の寺の門前に立って会葬者を見送っていた人々の中に、ひどく憔悴したような虚子の顔を見出したことも、思い出すことの一つである。 千駄木町の夏目先生の御宅の文章会で度々一処になった。文章の読み役は多く虚子が勤めた。少・・・ 寺田寅彦 「高浜さんと私」
・・・ひどく憔悴したつやのない青白い顔色をしてほかの人の群れから少し離れて立っていた姿が思い出される。くちびるの色が著しくあかく見えた事、長い髪を手でなで上げるかたちがこの人の印象をいっそう憂鬱にした事などが目に浮かんで来る。参拝を終わってみんな・・・ 寺田寅彦 「備忘録」
・・・ん鬢華らんと欲するを隔レ水唯開川口店 水を隔てて唯だ開く川口の店背レ空鎖葛西家 を背にして空しく鎖す葛西の家紅裙翠黛人終老 紅裙翠黛 人は終に老い冷※ 路は自ずからし憔悴一般楊柳在 憔悴一般の 楊柳在・・・ 永井荷風 「向嶋」
出典:青空文庫