・・・傾向を生じた根柢に、各階級に特異な動向が働いているのを認め、そしてその動向は永年にわたる生活と習慣とが馴致したもので、両階級の間には、生活様式の上にも、それから醸される思想の上にも、容易に融通しがたい懸隔のあることを感じ、現在においてはそれ・・・ 有島武郎 「片信」
・・・あなたと私のこんな違いは、お金持と貧乏人という生活の懸隔から起ったのでは無く、あなたが之まで幾十度と無く重大の命の危機を切り抜けて生きて来たという事から起ったのだ。あなたはいつでも、全身で闘っている。全身で遊んでいる。そうして、ちゃんと孤独・・・ 太宰治 「風の便り」
・・・両者の意嚮の間には、あまりにもひどい懸隔があるので、母は狼狽した。チベットは、いかになんでも唐突すぎる。母はまず勝治に、その無思慮な希望を放棄してくれるように歎願した。頑として聞かない。チベットへ行くのは僕の年来の理想であって、中学時代に学・・・ 太宰治 「花火」
・・・の真実不真実による価値の懸隔である。古い映画では「メトロポリス」に現われた機械のばからしさなどが代表的である。機械文化の頂点を示すべき映画の中で、一人の職工は有り余っているべき動力の洪水の中にいながら、最も原始的なその筋肉エネルギーを極度に・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・ このように、最も問題になる憂いの少ない論文でさえも、見る人の眼のつけ処でその価値にかなりの懸隔を生じるのである。それで、なるべく拾うべき長所の拾い落しのないためにはなるべく多数の審査員を選び、そうしてそれらの人達の合議によって及落を決・・・ 寺田寅彦 「学位について」
・・・普通公算論の適用さるる簡単なる場合においても、場合の数が小なる時は自然の表現は理論の指示する所と大なる懸隔を示す事あり。これも忘るべからざる事なり。なお一般弾性体の破壊に関してその弱点の分布や相互の影響あるいは破壊の段階的進歩に関する実験的・・・ 寺田寅彦 「自然現象の予報」
・・・しかし以上の考察はこれら因子中の最も重要なるものに関したもので、これからの結論がだいたいにおいて事実とあまりに懸隔したものではないという事も許容されるだろうと信じる。 私はこのような考えを正す目的で、時々最寄りの停留所に立って、懐中時計・・・ 寺田寅彦 「電車の混雑について」
・・・ 動かぬもののたとえに引かれるわれわれの足もとの大地が時として大いに震え動く、そういう体験を持ち伝えて来た国民と、そうでない国民とが自然というものに対する観念においてかなりに大きな懸隔を示しても不思議はないわけであろう。このように恐ろし・・・ 寺田寅彦 「日本人の自然観」
・・・生徒の老成後の倫理道徳観が中学校で教わった所と如何ほど懸隔しても仕方がない。やはり中学校の倫理は無益ではない。自分は科学というものの方法や価値や限界などを多少でも暗示する事が却って百千の事実方則を暗記させるより有益だと信じたい。そうすれば今・・・ 寺田寅彦 「方則について」
・・・ 道太は何をするともなしに、うかうかと日を送っていたが、お絹とおひろの性格の相違や、時代の懸隔や、今は一つ家にいても、やがてめいめい分裂しなければならない運命にあることも、お絹が今やちょうど生涯の岐路に立っているような事情も、ほぼ呑みこ・・・ 徳田秋声 「挿話」
出典:青空文庫