・・・――頭からゾッとして、首筋を硬く振り向くと、座敷に、白鷺かと思う女の後ろ姿の頸脚がスッと白い。 違い棚の傍に、十畳のその辰巳に据えた、姿見に向かった、うしろ姿である。……湯気に山茶花の悄れたかと思う、濡れたように、しっとりと身についた藍・・・ 泉鏡花 「眉かくしの霊」
・・・あまり遅くならないうちに帰らなければならぬと思って、窓ぎわを離れてから振り向くと、高い、青い時計台には流るるような月光がさしています。そして町を離れて、野原の細道をたどる時分にはまた、彼のよい音色が、いろいろの物音の間をくぐり抜けてくるよう・・・ 小川未明 「青い時計台」
・・・そして、おじいさんの振り向く方を見て、「あれか。」といって、黒いものをねらって打ちました。 しかし、弾は、急所をはずれたので、おおかみは、雪の上に跳り上がって、逃げてしまいました。 おじいさんは、自分は智慧者だろうと、家へ帰ってから・・・ 小川未明 「おおかみをだましたおじいさん」
・・・おどろいて振り向くと、知らない子が立っていました。「りゅうのひげなら、あすこにたくさんあるよ。ぼくもりゅうのひげの実を取りにきたのだ。」と、知らない子が、いいました。「りゅうのひげ?」「ああ、りゅうのひげさ、君、まだ知らないの?・・・ 小川未明 「少年と秋の日」
・・・三人はびっくりして後ろの方を振り向くと、空色の着物をきた子供が、どこからかついてきました。みなはその子供をまったく知らなかったのです。「このじいさんは、人さらいかもしれない。」と、その子供は同じことをいいました。これを聞くと三人は頭から・・・ 小川未明 「空色の着物をきた子供」
・・・ 電燈をつけて、給仕なしの夕飯をぽつねんと食べていると、ふと昨夜の蜘蛛が眼にはいった。今日も同じ襖の上に蠢いているのだった。 翌朝、散歩していると、いきなり背後から呼びとめられた。 振り向くと隣室の女がひとりで大股にやって来るの・・・ 織田作之助 「秋深き」
・・・ 振り向くと、バタ屋――つまり大阪でいう拾い屋らしい男でした。何をしているのだと訊いたその声は老けていましたが、年は私と同じ二十七八でしょうか、痩せてひょろひょろと背が高く、鼻の横には大きくホクロ。そのホクロを見ながら、私は泊るところが・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・ それから一週間たったあの夕方、治療に使う枇杷の葉を看護婦と二人で切って籠に入れていると、うしろからちょっとと一代の声がした。振り向くと、唇の間からたらんと舌を垂れ、ウオーウオーとけだもののような声を出して苦悶していた。驚いて看護婦が強・・・ 織田作之助 「競馬」
・・・物も言わずにぺたりとそのそばに坐り、畳の一つ所をじっと見て、やがて左手で何気なく糸屑を拾いあげたその仕草はふと伊助に似たが、きゅうに振り向くと、キンキンした声で、あ、お越しやす。駕籠かきが送ってきた客へのこぼれるような愛嬌は、はやいつもの登・・・ 織田作之助 「螢」
・・・ 娘はうなずいて、素直に寝台に上りかけたが、ふと振り向くと、「あなたは……?」 どこで寝るのかと、きいた。「僕はここで寝るよ」 小沢は椅子に掛けたまま、わざと娘の顔を見ずに言った。「そんなン困るわ」 娘は寝台・・・ 織田作之助 「夜光虫」
出典:青空文庫