・・・が、叔母はそれは敷かずに、机の側へ腰を据えると、さも大事件でも起ったように、小さな声で話し出した。「私は少しお前に相談があるんだがね。」 洋一は胸がどきりとした。「お母さんがどうかしたの?」「いいえ、お母さんの事じゃないんだ・・・ 芥川竜之介 「お律と子等と」
・・・すると三浦はしばらくの間、私の問が聞えないように、まだ月代もしない御竹倉の空をじっと眺めていましたが、やがてその眼を私の顔に据えると、低いながらも力のある声で、『どうもしない。一週間ばかり前に離縁をした。』と、きっぱりと答えたじゃありません・・・ 芥川竜之介 「開化の良人」
・・・ 清水はひとり、松の翠に、水晶の鎧を揺据える。 蝉時雨が、ただ一つになって聞えて、清水の上に、ジーンと響く。 渠は心ゆくばかり城下を視めた。 遠近の樹立も、森も、日盛に煙のごとく、重る屋根に山も低い。町はずれを、蒼空へ突出た・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・の姉分だから、ご存じだろうと思いますが……今、芝、明舟町で、娘さんと二人で、お弟子を取っています、お師匠さん、……お民さんのね、……まあ、先生方がお聞きなすっては馬鹿々々しいかも知れませんが、……目を据える、生命がけの事がありましてね、その・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・ と獅噛面を後へ引込めて目を据える。 雑所は前のめりに俯向いて、一服吸った後を、口でふっふっと吹落して、雁首を取って返して、吸殻を丁寧に灰に突込み、「閉込んでおいても風が揺って、吸殻一つも吹飛ばしそうでならん。危いよ、こんな日は・・・ 泉鏡花 「朱日記」
・・・いまにあなた章魚に灸を据えるとか、蟹に握飯をたべさすとかいう話でもしてあげて下さいまし。私にゃ、私にゃ、どうしてもあの病人をつかまえて、治ってどうしようなんていうことは、情なくッて言えません。」 という声もうるみにき。「え、新さん、・・・ 泉鏡花 「誓之巻」
・・・ 手箪笥の抽斗深く、時々思出して手に据えると、殻の裡で、優しい音がする。 泉鏡花 「栃の実」
・・・ 或殿が領分巡回の途中、菊の咲いた百姓家に床几を据えると、背戸畑の梅の枝に、大な瓢箪が釣してある。梅見と言う時節でない。「これよ、……あの、瓢箪は何に致すのじゃな。」 その農家の親仁が、「へいへい、山雀の宿にござります。」・・・ 泉鏡花 「二、三羽――十二、三羽」
・・・妙な処へ楫を極めて、曳据えるのが、がくりとなって、ぐるぐると磨骨の波を打つ。 十 露店の目は、言合わせたように、きょときょとと夢に辿る、この桃の下路を行くような行列に集まった。 婦もちょいと振向いて、(大道商・・・ 泉鏡花 「露肆」
・・・台石の上へ、見事な白い石で大きな糸枠を据えるんです。刻んだ糸を巻いて、丹で染めるんだっていうんですわ。」「そこで、「友禅の碑」と、対するのか。しかし、いや、とにかく、悪い事ではない。場所は、位置は。」「さあ、行って見ましょう。半分う・・・ 泉鏡花 「縷紅新草」
出典:青空文庫