・・・散歩の人たちは、蜘蛛の子を散らすように、ぱあっと飛び散り、どこへどう消え失せたのか、お化けみたい、たったいままで、あんなにたくさん人がいたのに、須臾にして、巷は閑散、新宿の舗道には、雨あしだけが白くしぶいて居りました。博士は、花屋さんの軒下・・・ 太宰治 「愛と美について」
・・・あなたに出来る精一ぱいの反抗は、たったそれだけなのですか、鳩売りの腰掛けを蹴散らすだけのことなのですか、と私は憫笑しておたずねしてみたいとさえ思いました。もはやこの人は駄目なのです。破れかぶれなのです。自重自愛を忘れてしまった。自分の力では・・・ 太宰治 「駈込み訴え」
・・・ 笠井氏は既に泥酔に近く、あたりかまわず大声を張りあげて喚き散らすので、他の酔客たちも興が覚めた顔つきで、頬杖なんかつきながら、ぼんやり笠井氏の蛮声に耳を傾けていました。「ただ、この、伊藤に向って一こと言って置きたい事があるんだ。そ・・・ 太宰治 「女類」
・・・ 花曇り、それが済んで、花を散らす風が吹く。その後に晩春の雨が降る。この雨は多く南風を伴って来る。昨日の花、この為めに凋落し尽すという恨はあるが、何となく思を取集めて感じが深い。硝子窓の外は風雨吹暴れて、山吹の花の徒らに濡れたるなど、歌・・・ 田山花袋 「新茶のかおり」
・・・そうしてまた実に驚くべく非科学的なる市民、逆上したる街頭の市民傍観者のある者が、物理学も生理学もいっさい無視した五階飛び降りを激励するようなことがなかったら、あたら美しい青春の花のつぼみを舗道の石畳に散らすような惨事もなくて済んだであろう。・・・ 寺田寅彦 「火事教育」
・・・訳もわからないで無暗に威張り散らすのが御役人だと思っていた。郵便局の雇や、税務署の受附などに、時おり権突を食わせられる度に、ますます厭になった。それから軍人も嫌であった。その頃始めて国の聨隊が出来て、兵隊や将校の姿が物珍しく、剣や勲章の目に・・・ 寺田寅彦 「枯菊の影」
・・・ 蒼空の光も何物か空中にあって、太陽の光を散らすもののあるためと考えなければならない。もし何物もない真空であったら、太陽と星とが光るだけで、空は真黒に見えなければならない。それで昔の学者はこれを空中の水滴やまた普通の塵埃のためと考えたそ・・・ 寺田寅彦 「塵埃と光」
・・・宿の三階から見下ろす一町くらい先のある家で、夜更けるまで大声で歌い騒ぎ怒鳴り散らすのが聞こえた。雨戸をしめに来た女中がこの騒ぎを眺めながら「またお米があがったそうな」といった。聞いてみると、それは米相場をやる人の家で、この家の宴楽の声が米の・・・ 寺田寅彦 「夏」
・・・三つの煙りが蓋の上に塊まって茶色の球が出来ると思うと、雨を帯びた風が颯と来て吹き散らす。塊まらぬ間に吹かるるときには三つの煙りが三つの輪を描いて、黒塗に蒔絵を散らした筒の周囲を遶る。あるものは緩く、あるものは疾く遶る。またある時は輪さえ描く・・・ 夏目漱石 「一夜」
・・・この要点は全体を明かにするにおいて功力があるのみならず、要点以外に気を散らす必要がなく、不要の部分をことごとく切り棄てる事もできるからして、読者から云えば注意力の経済になる。この要点を空間に配して云うと、沙翁は king と云う大きなものを・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
出典:青空文庫