・・・ 国定教科書にあったのか小学唱歌にあったのか、少年の時に歌った歌の文句が憶い出された。その言葉には何のたくみも感ぜられなかったけれど、彼が少年だった時代、その歌によって抱いたしんに朗らかな新鮮な想像が、思いがけず彼の胸におし寄せ・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
・・・ 別に変わった文句ではありませんが、『ベツレヘム』という言葉に一種の力がこもっていて、私の心にかつてないものを感じさせました。 会堂に着くと、入口の所へ毛布を丸めて投げ出して、木村の後ろについて内に入ると、まず花やかな煌々としたラン・・・ 国木田独歩 「あの時分」
・・・徒に、むつかしい文句をひねりまわしたところで、何等役に立つものではない。 何故、俺等は貧乏するか。 どうすれば貧乏から解放されるか。 それを十分具体的にのみこませた上でなければ、百姓は立ち上って来ないのである。 無産・・・ 黒島伝治 「選挙漫談」
・・・という文句を追いかけるように二人の耳へ送った。それは疑いも無くお近の声で、わざと二人に聞かせるつもりで唱ったらしかった。 その二「よっぽど此村へは来なかったネ。」と、浅く日の射している高い椽側に身を靠せて・・・ 幸田露伴 「雁坂越」
・・・ 俺は二三度その文句を口の中で繰りかえしている。 却々スラ/\と云えない。然しそれを繰りかえしているうちに、俺は久し振りで長い間会わないこの愚かな母親の心に、シミ/″\と触れることが出来た。 俺たちはどんなことがあろうと、泣いて・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・ある謡曲の中の一くさりが胸に浮んで来ると、彼女は心覚えの文句を辿り辿り長く声を引いて、時には耳を澄まして自分の嘯くような声に聞き入って、秋の夜の更けることも忘れた。 寝ぼけたような鶏の声がした。「ホウ、鶏が鳴くげな。鶏も眠られないと・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・ 文句があるなら、あした聞く」「たいへんな事を言いやがるなあ、先生、すっかりもう一人前の悪党だ。それではもう警察へお願いするより手がねえぜ」 その言葉の響きには、私の全身鳥肌立ったほどの凄い憎悪がこもっていました。「勝手にしろ!・・・ 太宰治 「ヴィヨンの妻」
・・・その文句は今でも覚えているがその意味に至っては今にわからない。思い出しても冷や汗が流れる。しかしとにかくこんな西洋くさい遊戯が明治二十年代の土佐の田舎の子供の間に行なわれていたということは郷土文化史的にも多少の意味があるかもしれない。それよ・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
・・・弟は妻のために、お絹姉さんを、少し文句の多すぎる小姑だと思っていた。 しかし、お絹は、ここでもあまりおひろと気の合った方ではなかった。おひろには森さんがあった。次ぎのお京には、青物問屋の旦那があった。「けれども、たまに行けばお互いに・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・ 三吉たちの生活にはないそんな文句をいわれて、あわててたちあがったとき、もうとり戻しが出来ぬほど遠いうしろに自分がいることを、三吉は感じずにいられなかった。桜並木の小径をくだって、練兵場のやぶかげの近道を、いつも彼女が帰ってゆく土堤上の・・・ 徳永直 「白い道」
出典:青空文庫