・・・こうして新しい領分が開けたわけですから、その開けた直後は高まるというよりも寧ろ広まる時代、拡張の時代です。それが十八世紀の数学であります。十九世紀に移るあたりに、矢張りかかる階段があります。すなわち、この時も急激に変った時代です。一人の代表・・・ 太宰治 「愛と美について」
・・・ 珈琲店では新しい話の種がたっぷり出来た。伯爵中尉の気まぐれも非常であるが、小さい銀行員の僥倖も非常である。あんな結構な旅行を、何もあのチルナウエルにさせないでも好さそうなものだ。誰だって同じ旅行が出来たら、あの男よりは有利にそれをし遂・・・ 著:ダビットヤーコプ・ユリウス 訳:森鴎外 「世界漫遊」
・・・ 満足とともに新しい不安が頭を擡げてきた。倦怠、疲労、絶望に近い感情が鉛のごとく重苦しく全身を圧した。思い出が皆片々で、電光のように早いかと思うと牛の喘歩のように遅い。間断なしに胸が騒ぐ。 重い、けだるい脚が一種の圧迫を受けて疼痛を・・・ 田山花袋 「一兵卒」
・・・そのあとでエルトハイムに寄って新しい襟を買ったのであった。 晩には方々歩いたっけ。珈琲店はウィクトリアとバウエルとへ行った。それから黒猫やリンデンや抜裏なんぞの寄席にちょいちょい這入って覗いて見た。その外どこかへ行ったが、あとは忘れた。・・・ 著:ディモフオシップ 訳:森鴎外 「襟」
・・・ 彼の理論、ことに重力に関する新しい理論の実験的証左は、それがいずれも極めて機微なものであるだけにまだ極度まで完全に確定されたとは云われないかもしれない。しかし万一将来の実験や観測の結果が、彼の現在の理論に多少でも不利なような事があった・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・北方の大阪から神戸兵庫を経て、須磨の海岸あたりにまで延長していっている阪神の市民に、温和で健やかな空気と、青々した山や海の眺めと、新鮮な食料とで、彼らの休息と慰安を与える新しい住宅地の一つであった。 桂三郎は、私の兄の養子であったが、三・・・ 徳田秋声 「蒼白い月」
・・・この小さな日本を六十幾つに劃って、ちょっと隣へ往くにも関所があり、税関があり、人間と人間の間には階級があり格式があり分限があり、法度でしばって、習慣で固めて、いやしくも新しいものは皆禁制、新しい事をするものは皆謀叛人であった時代を想像して御・・・ 徳冨蘆花 「謀叛論(草稿)」
・・・ハンチングをかぶったボルは、三吉に新しい魅力であった。東京大森の前衛社! 赤い旗の前衛社! それはどういうところだろう? くらい道を家へ歩きながら想像している。しかし三吉は、高島にむかって、とうとう返辞をしなかった。この不安は、あのハンチン・・・ 徳永直 「白い道」
・・・ 水戸の御家人や旗本の空屋敷が其処此処に売物となっていたのをば、維新の革命があって程もなく、新しい時代に乗じた私の父は空屋敷三軒ほどの地所を一まとめに買い占め、古びた庭園や木立をそのままに広い邸宅を新築した。私の生れた時には其の新しい家・・・ 永井荷風 「狐」
・・・ 坂を下り切ると細い谷道で、その谷道が尽きたと思うあたりからまた向き直って西へ西へと爪上りに新しい谷道がつづく。この辺はいわゆる山の手の赤土で、少しでも雨が降ると下駄の歯を吸い落すほどに濘る。暗さは暗し、靴は踵を深く土に据えつけて容易く・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
出典:青空文庫