・・・なお校長の驥尾に附して、日本橋五丁目の裏長屋に住む浄瑠璃本写本師、毛利金助に稽古本を註文したりなどした。 お君は金助のひとり娘だった。金助は朝起きぬけから夜おそくまで背中をまるめてこつこつと浄瑠璃の文句を写しているだけが能の、古ぼけ・・・ 織田作之助 「雨」
・・・それを大阪の伝統だとはっきり断言することは敢てしないけれど、例えば日本橋筋四丁目の五会という古物露天店の集団で足袋のコハゼの片一方だけを売っているのを見ると、何かしら大阪の哀れな故郷を感ずるのである。 東京にいた頃、私はしきりに法善・・・ 織田作之助 「大阪発見」
・・・ ふと思いついたのは、今から二月前に日本橋のある所で土方をした時知り合いになった弁公という若者がこの近所に住んでいることであった。道悪を七八丁飯田町の河岸のほうへ歩いて暗い狭い路地をはいると突き当たりにブリキ葺の棟の低い家がある。もう雨・・・ 国木田独歩 「窮死」
・・・星野君の家は日本橋本町四丁目の角にあった砂糖問屋で、男三郎君というシッカリした弟があり、おゆうさんという妹もあり兄弟挙って文学に趣味を持つという人達だったから、その星野君が女学雑誌から離れて、一つ吾々の手で遣ろうではないかという相談を持ち出・・・ 島崎藤村 「北村透谷の短き一生」
・・・そういう母が同じ浦和生れの父を助けて小竹の店を持つ前に、しばらく日本橋石町の御隠居さんの家に勤めていた頃は、朝も暗いうちに起き、夜が明けてから髪なぞを結ったためしは殆んどなかったという。そして御隠居さんの寝間の障子を細目にあけ、敷居のところ・・・ 島崎藤村 「食堂」
・・・ 日本橋呉服町に在る宏壮な建築物の二階で、堆く積んだ簿書の裡に身を埋めながら、相川は前途のことを案じ煩った。思い疲れているところへ、丁度小使が名刺を持ってやって来た。原としてある。原は金沢の学校の方に奉職していて、久し振で訪ねて来た。旧・・・ 島崎藤村 「並木」
・・・んどん方々から火が上り、夕方六時近くには全市で六十か所の火が、おのおの何千という家々をなめて、のびひろがり、夜の十二時までの間にはすべてで八十八か所の火の手が、一つになって、とうとう本所、深川、浅草、日本橋、京橋の全部と、麹町、神田、下谷の・・・ 鈴木三重吉 「大震火災記」
・・・その若い女のひとが、朝早く日本橋の或る銀行に出勤する。そのあとに私が行って、そうして四、五時間そこで仕事をして、女のひとが銀行から帰って来る前に退出する。 愛人とか何とか、そんなものでは無い。私がそのひとのお母さんを知っていて、そうして・・・ 太宰治 「朝」
・・・夜の八時ごろ、ほろ酔いのブローカーに連れられて、東京駅から日本橋、それから京橋へ出て銀座を歩き新橋まで、その間、ただもうまっくらで、深い森の中を歩いているような気持で人ひとり通らないのはもちろん、路を横切る猫の子一匹も見当りませんでした。お・・・ 太宰治 「貨幣」
・・・ そうして、数日後、二人の行進は、日本橋のあるデパート内の美容室に向って開始せられる事になる。 おしゃれな田島は、一昨年の冬、ふらりとこの美容室に立ち寄って、パーマネントをしてもらった事がある。そこの「先生」は、青木さんといって三十・・・ 太宰治 「グッド・バイ」
出典:青空文庫