・・・姉の家で普請をしていた時に、田舎から呼寄せられて離屋に宿泊していた大工の杢さんからも色々の話を聞かされたがこれにはずいぶん露骨な性的描写が入交じっていたが、重兵衛さんの場合には、聴衆の大部分が自分の子供であったためにそういう材料はことさらに・・・ 寺田寅彦 「重兵衛さんの一家」
・・・「家普請を春のてすきにとり付いて」の静かな低音の次に「上のたよりにあがる米の値」は、どうしても高く強い。そうして「宵の内はらはらとせし月の雲」と一転しているのは一見おとなしいようでもあるが、これを次に来る野坡の二句「藪越しはなす秋のさびしき・・・ 寺田寅彦 「連句雑俎」
・・・「おや、また普請したぞい……」 フト目に入った山荘庵の丘の上に、赤い瓦の屋根が見えた。「また俺らの上納米で建てたんだろべい」 四 そう呟いて善ニョムさんはまた向き直って、肥料を移した手笊を抱えて、調子よく・・・ 徳永直 「麦の芽」
・・・ 大音寺は昭和の今日でも、お酉様の鳥居と筋向いになって、もとの処に仮普請の堂を留めているが、しかし周囲の光景があまりに甚しく変ってしまったので、これを尋ねて見ても、同じ場処ではないような気がするほどである。明治三十年頃、わたくしが『たけ・・・ 永井荷風 「里の今昔」
・・・という事から、モオリスは世のいわゆる高尚優美なる紳士にして伊太利亜、埃及等を旅行して古代の文明に対する造詣深く、古美術の話とさえいえば人に劣らぬ熱心家でありながら、平然として何の気にする処もなく、請負普請の醜劣俗悪な居室の中に住んでいる人が・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・ その頃、繁華な市中からこの深川へ来るには電車の便はなし、人力車は賃銭の高いばかりか何年間とも知れず永代橋の橋普請で、近所の往来は竹矢来で狭められ、小石や砂利で車の通れぬほど荒らされていた処から、誰れも彼れも、皆汐溜から出て三十間堀の堀・・・ 永井荷風 「深川の唄」
・・・に人家のつづいている中に、不動院という門構の寺や、医者の家、土蔵づくりの雑貨店なども交っているが、その間の路地を覗くと、見るも哀れな裏長屋が、向きも方角もなく入り乱れてぼろぼろの亜鉛屋根を並べている。普請中の貸家も見える。道の上には長屋の子・・・ 永井荷風 「元八まん」
・・・たとえば、大工が普請するとき、柱の順番を附くるに、梁間の方、三尺毎にいろはの印を付け、桁行の方、三尺毎に一二三を記し、いの三番、ろの八番などいうて、普請の仕組もできるものなり。大工のみにかぎらず、無尽講のくじ、寄せ芝居の桟敷、下足番の木札等・・・ 福沢諭吉 「小学教育の事」
・・・ 六平もおどろいておろしたばかりの荷物を見ましたら、おやおや、それはどての普請の十の砂利俵でした。 六平はクウ、クウ、クウと鳴って、白い泡をはいて気絶しました。それからもうひどい熱病になって、二か月の間というもの、「とっこべとら・・・ 宮沢賢治 「とっこべとら子」
・・・ デモが各々の職場で工場内の美術研究部を中心として、工夫をこらした飾りものを持ち出すばかりではない。今日赤い広場はみちがえるような光景である。 普請中のレーニン廟の数町に渡る板がこいは、あでやかな壁画で被われている。 集団農場の・・・ 宮本百合子 「インターナショナルとともに」
出典:青空文庫