・・・まえにも何回となく言って言い馴れているような諳誦口調であって、文章にすればいくらか熱のある言葉のようにもみえるが実際は、れいの嗄れた陰気くさい低声でもってさらさら言い流しているだけのことなのである。「馬場は全然だめです。音楽を知らない音・・・ 太宰治 「ダス・ゲマイネ」
・・・八歳になるまでは一銭の小使いも与えられず、支那の君子人の言葉を暗誦することだけを強いられた。三郎はその支那の君子人の言葉を水洟すすりあげながら呟き呟き、部屋部屋の柱や壁の釘をぷすぷすと抜いて歩いた。釘が十本たまれば、近くの屑屋へ持って行って・・・ 太宰治 「ロマネスク」
・・・いくら読んでも暗唱しても、それだけでは旅行した代わりにはならない事はもちろんである。 案内記が系統的に完備しているという事と、それが読む人の感興をひくという事とは全然別な事で、むしろ往々相容れないような傾向がある。いわゆる案内記の無味乾・・・ 寺田寅彦 「案内者」
・・・一通りの定まった版行で押した項目だけを暗誦的に説明してしまえばそれでもうおしまいで先様御代りである。少し詳しく立止まって見たいと思う者があっても、大勢に追従して素通りをしてしまわなければならない。吾人が学校で学問を教わるのは丁度このようなも・・・ 寺田寅彦 「科学上における権威の価値と弊害」
・・・のごとき、当時では最も西洋臭くて清新と考えられたものを愛読し暗唱した。それ以前から先輩の読み物であった坪内氏の「当世書生気質」なども当時の田舎の中学生にはやはり一つの新しい夢を吹き込むものであった。宮崎湖処子の「帰省」という本が出て、また別・・・ 寺田寅彦 「科学と文学」
・・・それどころか、昔でさえもたとえば論語を全部暗唱する人は珍しくなかった。それだけのきわめて卑近な簡単な一例から考えても、人間の脳の機能に関係する原子分子の一つ一つの役目が、それほど閑散な、あってもなくても済むようなものではないであろうというこ・・・ 寺田寅彦 「蒸発皿」
・・・この挨拶が済むと、監督の尼さんが音頭をとって、子供の唱歌が始まり、それから正面の壇へ大きい子供がかわるがわる出て暗唱をすると、尼さんが心配して下から小さい声でいっしょに暗唱するのでした。それからワイナハトマンが袋をかついで出て来ておどけて笑・・・ 寺田寅彦 「先生への通信」
・・・の第一ページを暗唱しているものの中に自分もいたわけである。 宮崎湖処子の「帰省」が現われたとき当時の中学生は驚いた。尋常一様な現実の生活の描写が立派な文学でありうるのみか、あらゆる在来の文学中に求め得られない新鮮な美しさを包蔵しうるとい・・・ 寺田寅彦 「読書の今昔」
・・・と、海道下りの一節を暗誦して人を驚すことが出来るが、その代り書きかけている自作の小説の人物の名を忘れたりまたは書きちがえたりすることがある。 鶯の声も既に老い、そろそろ桜がさきかけるころ、わたくしはやっと病褥を出たが、医者から転地療養の・・・ 永井荷風 「十六、七のころ」
・・・たとえば英語の教師が英語に熱心なるのあまり学生を鞭撻して、地理数学の研修に利用すべき当然の時間を割いてまでも難句集を暗誦させるようなものである。ただにそれのみではない、わが専攻する課目のほか、わが担任する授業のほかには天下又一の力を用いるに・・・ 夏目漱石 「作物の批評」
出典:青空文庫