・・・『江頭百詠』は静軒が天保八年『江戸繁昌記』のために罪を獲て江戸払となってから諸方に流浪し、十三年の後隅田川のほとりなる知人某氏の別荘に始めておちつく事を得た時、日々見る所の江上の風光を吟じたもので、嘉永二年に刊刻せられた一冊子である。『・・・ 永井荷風 「向嶋」
・・・かつて文部省の展覧会の審査員の某氏に会った時、日本の絵画も近頃は大分上手になりましたといったら、その人は文部省の展覧会が出来てから大変好くなりましたと答えた。日本の絵画の年々進歩するのは争うべからざる事実ではあるが、その原因を某氏のように一・・・ 夏目漱石 「文芸委員は何をするか」
・・・ 子福者小笠原伯爵の何番目かの娘さんが最近スポーツマンであった体躯肥大な某氏と結婚された写真が出ていた。月給は七十円だけれども、豪壮な新邸に住まわれるそうである。一寸名のあるスポーツマンになるといいぜ、就職が楽だぜ。そういう功利的通念は・・・ 宮本百合子 「新しい一夫一婦」
・・・ウラジヴォストクの某氏へ電報打とうと云って、頼信紙に書きまでしたが、大抵五時だろうと云う車掌の言葉に電報は中止した。 ――明日どうせせわしいんだから、ちゃんと今日荷物しとかなけりゃいけない。 連絡船は十二時に出る。一週間に一度である・・・ 宮本百合子 「新しきシベリアを横切る」
・・・英文学の仕事をしていた某氏が事務担当をしていた。私の用事は、前に中野さんと某氏を訪ねたとおなじ題目であった。文芸家協会は、大正年代に組織され、古い歴史をもつ日本で唯一の文学者の集団である。理事というところには、日本の代表的著述家・作家が顔を・・・ 宮本百合子 「ある回想から」
・・・ざっといって見ると、明月谷に他から移り住んだ元祖である元記者の某氏、病弱な彫刻家である某氏、若いうちから独身で、囲碁の師匠をし、釈宗演の弟子のようなものであった某女史、決して魚を食わない土方の親方某、通称家鴨小屋の主人某、等々が、宇野浩二氏・・・ 宮本百合子 「この夏」
・・・その社としては懐古的な意味をもった催しであったが、主幹に当る人はそのテーブル・スピーチで今日社が何十人かの人々を養って行くことが出来るのも偏に前任者某氏の功績である云々と述べた。今日に当って某誌が日本の文化を擁護しなければならぬ義務の増大し・・・ 宮本百合子 「微妙な人間的交錯」
・・・ラジオ放送、演説でくりかえすばかりでなく、茨城県の或るところでは、元校長の某氏が立候補して、立会演説があった。国民学校である会場へゆくと、各教室からワラワラと馳け出して来た児童らが、両手をメガフォンにして「ゴジ!」「ゴージイ!」と叫んだ実例・・・ 宮本百合子 「矛盾とその害毒」
・・・ シカゴ市の有名な建築家である某氏が、一寸来訪の意味を説明すると、その小肥りで陽気な御主人は、いかにも快活に「さアさア」と柱のどこかについていたスウィッチを押しました。壁だと思っていた鏡板が動き出して、大きい大きい貝がらのように開いて床・・・ 宮本百合子 「よろこびの挨拶」
・・・ はじめ投書した某氏は男で某紙の家庭欄に紹介されている代用食の製法にしたがってためしてみたらたいへんどっさり砂糖がいった、砂糖の不足がちな現在ああいう代用食は実際的でないから一考を要するという意見であった。するとそれに対し某夫人が署名入・・・ 宮本百合子 「私の感想」
出典:青空文庫