・・・ 彼はすべての芸術も、芸術家も、現代にあっては根本の経済という観念の自覚の上に立たない以上、亡びるという持論から、私に長い説法をした。「君は何か芸術家というものを、何か特種な、経済なんてものの支配を超越した特別な世界のもののように考・・・ 葛西善蔵 「遁走」
・・・まるで理屈の根本が違って来たじゃないか、――やっぱりわしをかせがすつもりサ……とまで考えて来た時、老人はちょうど一本の煙草をすい切った。 石井翁は一年前に、ある官職をやめて恩給三百円をもらう身分になった。月に割って二十五円、一家は妻に二・・・ 国木田独歩 「二老人」
・・・天理の自然、生命の法則に従うことは、目前の生活解放権利拡張ということより根本的である。現在の社会ではいわゆる婦人の権利拡張の闘争から手を引くことは、一層鎖を重くすることになるが、理想的国家では、処女性、母性、美容の保護、ならびに、これと矛盾・・・ 倉田百三 「愛の問題(夫婦愛)」
・・・その根本の理由はよく分っている。吾々が誰れかの手先に使われて、馬鹿を見ていることはよく分っている。露西亜人に恨がある訳ではない。そういうことはよく分っているつもりだのに、日本人がやられたのを見ると、敵愾心が起って来るのをどうすることも出来な・・・ 黒島伝治 「戦争について」
・・・けれども彼女が根本からの治療を受けるために自分の身体を医者に診せることだけは避け避けしたのは、旦那の恥を明るみへ持出すに忍びなかったからで。見ず知らずの女達から旦那を通して伝染させられたような病毒のために、いつか自分の命の根まで噛まれる日の・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・東京市のごときは、まず根本に、火事のさいに多くの人がひなんし得る、大公園や、広場や大きな交通路、その他いろいろの地割をきめた上、こみ入ったところには耐火的のたて物以外にはたてさせないように規定して、だんだんに再建築にかかるのですが、帝都とし・・・ 鈴木三重吉 「大震火災記」
・・・あのヘラヘラ笑いの拠って来る根元は何か。所謂「官僚の悪」の地軸は何か。所謂「官僚的」という気風の風洞は何か。私は、それをたどって行き、家庭のエゴイズム、とでもいうべき陰鬱な観念に突き当り、そうして、とうとう、次のような、おそろしい結論を得た・・・ 太宰治 「家庭の幸福」
・・・ 物理学の基礎になっている力学の根本に或る弱点のあるという事は早くから認められていた。しかし彼以前の多くの学者にはそれをどうしたらいいかが分らなかった。あるいは大多数の人は因襲的の妥協に馴れて別にどうしようとも思わなかった。力学の教科書・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・それを解決したところで、今までのようにルーズな姉の生活と、無能な甥や、虚栄心の強い気儘な姪の性質を、根本的に矯正しない以上、何をしでかすか判らなかった。道太は宿命的に不運な姉やその子供たちに、面と向かって小言を言うのは忍びなかった。それに弱・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・ 清五郎の云う通り、足痕は庭から崖を下り、松の根元で消えて居る事を発見した。父を初め、一同、「しめた」と覚えず勝利の声を上げる。田崎と車夫喜助が鋤鍬で、雪をかき除けて見ると、去年中あれほど捜索しても分らなかった狐の穴は、冬も茂る熊笹の蔭・・・ 永井荷風 「狐」
出典:青空文庫