・・・それは概略こうである。意地悪の嫂が何を言うても、母が民子を愛することは少しも変らないけれど、二つも年の多い民子を僕の嫁にすることはどうしてもいけぬと云うことになったらしく、それには嫂もいろいろ言うて、嫁にしないとすれば、二人の仲はなるたけ裂・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・ 空間の概略な計測には必ずしもメートル尺はいらない。人間の身体各部が最初の格好な物さしである。手の届かぬ距離の計測には両眼の距離が基線となって無意識の間に巧妙な測量術が行なわれる。時間の測定には必ずしも時計はいらない。短い時間には脈搏が・・・ 寺田寅彦 「映画の世界像」
・・・これも万人が知っていて損にならないことであるが、木を見ることを教えて森を見ることは教えない今の学校教育では、こんな「概略な見当」を正しくつけるようなことはどこでも教えないらしい。高価な精密な器械がなければ一尺と百尺との区別さえもわからないか・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・ あまり詳しい計算などは略して、ごく概略に考えても、要するに少しおくれて停留所に来た車は、少し早めにそこに来た車よりも統計的に多数の乗客を収容しなければならない事は明らかである。 もちろん下車する人の事も考えなければならないが、今の・・・ 寺田寅彦 「電車の混雑について」
・・・ それで以下にまず日本の自然の特異性についてきわめて概略な諸相を列記してみようと思う。そうしてその次に日本人がそういう環境に応じていかなる生活様式を選んで来たかということを考えてみたら、それだけでも私に課せられた問題に対する私としての答・・・ 寺田寅彦 「日本人の自然観」
・・・この問題に的確に答えるためには、勿論まず毒薬の種類を仮定した上で、その極量を推定し、また一人が一日に飲む水の量や、井戸水の平均全量や、市中の井戸の総数や、そういうものの概略な数値を知らなければならない。しかし、いわゆる科学的常識というものか・・・ 寺田寅彦 「流言蜚語」
・・・その用語の概略を言わんに漢語 は蕪村の喜んで用いたるものにして、あるいは漢語多きをもって蕪村の唯一の特色と誤認せらるるに至る。この一事がいかに人の注意を惹きしかを知るべし。蕪村が漢語を用いたるは種々の便利ありしに因るべけれど、第一に漢語・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・、福沢諭吉は「文明論の概略」、祖父は明治八年に「泰西史鑑」というものを独・物的爾著から重訳して出している。 いずれも当時の進歩的学者であったし、年輩も既に四十歳を越した人々がそれだけ心を合わせて兎に角一つの啓蒙雑誌を発刊したところ、何と・・・ 宮本百合子 「繻珍のズボン」
・・・ さて、この自伝の概略から、読者はどういう感銘を得るであろう。ここには、一人のなかなか人生にくい下る粘りをもった、負けじ魂のつよい、浮世の波浪に対して足を踏張って行く男の姿がある。自分の努力で、社会に正当であると認められた努力によってか・・・ 宮本百合子 「山本有三氏の境地」
・・・ 某が相果候仔細は、子孫にも承知致させたく候えば、概略左に書残し候。 最早三十余年の昔に相成り候事に候。寛永元年五月安南船長崎に到着候節、当時松向寺殿は御薙髪遊ばされ候てより三年目なりしが、御茶事に御用いなされ候珍らしき品買求め候様・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書(初稿)」
出典:青空文庫