・・・ただいまは高原君が樺太旅行談つけたり海豹島などの話をされましたが実地の見聞談で誠に有益でもあり、かつ面白く聴いておりました。私のは諸君に興味または利益を与えるという点において、とても高原君ほどに参りませぬ。高原君は御覧の通りフロックコートを・・・ 夏目漱石 「中味と形式」
・・・それはこうだ――何でも露国との間に、かの樺太千島交換事件という奴が起って、だいぶ世間がやかましくなってから後、『内外交際新誌』なんてのでは、盛んに敵愾心を鼓吹する。従って世間の輿論は沸騰するという時代があった。すると、私がずっと子供の時分か・・・ 二葉亭四迷 「予が半生の懺悔」
・・・軍国主義の敗北とともに、満州、中国、朝鮮、台湾、樺太、さらに遠い南の果てから内地へ引きあげてこなければならなかった日本人男女は幾十万人あったろうか。台湾、朝鮮のような植民地または中国、満州のような半植民地に発展していた人たちは、その土地と社・・・ 宮本百合子 「ことの真実」
・・・一九四七年、豊原市に二十人位の文学志望者があって、新聞『新生命』を中心に樺太文学協会をつくろうということになった。第一回会合が新生命社でもたれ、「サガレン文学」を出すことにきめたが、新聞社主筆ミシャロフ少佐が、それを禁じた。理由をきくと次の・・・ 宮本百合子 「しかし昔にはかえらない」
・・・ がらんとした室に、ひろ子の又従弟に当る青年がひとりで坐っていた。樺太の製紙会社につとめている父親や、引上げて来た母親、子供たちの様子をきいたりして夕飯のしたくが終ったとき、敷石の上を来る重吉の靴音がきこえた。 ひろ子は、上り口へか・・・ 宮本百合子 「風知草」
・・・ 三 その女は、程なく千束へ戻った。尾世川もその後訪ねて行った模様であったが、くわしいことを尋ねもしないうちに、尾世川の身辺は大分とり込んだ。 樺太から来た女が一時彼の二階にいた。 技師の細君で、夫の任地の・・・ 宮本百合子 「帆」
・・・夏、北海道及び樺太に旅行。 一九一三年。東大独文科選科二年生。学校にも殆ど出席せずふらふらした生活を送る。井上正夫、桝本清氏等と謀り野外劇を創む。 一九一四年。第三次『新思潮』を起す。「女親」を同誌に発表。二高で高等学校の検定試験を・・・ 宮本百合子 「山本有三氏の境地」
・・・ こんな話をしているうちに、聯想は聯想を生んで、台湾の樟脳の話が始まる。樺太のテレベン油の話が始まるのである。 増田博士は胡坐を掻いて、大きい剛い目の目尻に皺を寄せて、ちびりちびり飲んでいる。抜け上がった額の下に光っている白目勝の目・・・ 森鴎外 「里芋の芽と不動の目」
・・・ その友人は岡本保三と言って、後に内務省の役人になり、樺太庁の長官のすぐ下の役などをやった。明治三十九年の三月に中学を卒業して、初めて東京に出てくる時にも一緒の汽車であった。中央大学の予備科に一、二か月席を置いたのも一緒であった。それが・・・ 和辻哲郎 「初めて西田幾多郎の名を聞いたころ」
出典:青空文庫