・・・はもう止した。「浮世の匂」をかぐ暇もない。障子は風がもり、畳は毛立っている。霜柱にあれた庭を飾るものは子供の襁褓くらいなものだ。この頃の僕は何だかだんだんに変って来る。美しい物の影が次第に心から消えて行く。金がほしくなる。かつて二階から見下・・・ 寺田寅彦 「イタリア人」
・・・そして自分にも碌に分らないような事をいい加減に教えていると、次第々々に自分が墮落して行くような気がすると云っていたが、一年ばかりでとうとう止してしまった。そうして月給がなくなって困る/\とこぼしながらぶらぶらしていた。地方の中学にからりに好・・・ 寺田寅彦 「まじょりか皿」
・・・喰いつかれでもするといけないから、お止しなさい。」「奥様、堂々たる男子が狐一匹。知れたものです。先生のお帰りまでに、きっと撲殺してお目にかけます。」 田崎は例の如く肩を怒らして力味返った。此の人は其後陸軍士官となり日清戦争の時、血気・・・ 永井荷風 「狐」
・・・、谷崎君がわたくしの小説について長文の批評を雑誌『改造』に載せられた時、わたくしはこれに答える文をかきかけたのであるが、勢自作の苦心談をれいれいしく書立てるようになるので、何となく気恥かしい心持がして止してしまった。然るにこの度は正宗君が『・・・ 永井荷風 「正宗谷崎両氏の批評に答う」
・・・ すると友達の一人は、「君の態度はまるで西洋十八世紀の社会に反抗したルッソオのようだと言いたいが、然し柄にないことだからまア止した方がいいよ。君はやっぱり江戸文学の考証でもしている方が君らしくっていいよ。」と冷笑した。 兎角する中議・・・ 永井荷風 「申訳」
・・・しかしそれが悪いからお止しなさいと云うのではない。事実やむをえない、涙を呑んで上滑りに滑って行かなければならないと云うのです。 それでは子供が背に負われて大人といっしょに歩くような真似をやめて、じみちに発展の順序を尽して進む事はどうして・・・ 夏目漱石 「現代日本の開化」
・・・が、止しました。けれども、まあ買っても宜いとは思いました。何故買っても宜いといいますと、相当に出来ているからです。内へ持って来て掛けるのは何故かというと、英吉利風の絵なら絵を、相当に描きこなしておって、部屋の装飾として突飛でない、丁度平凡で・・・ 夏目漱石 「模倣と独立」
・・・「止しておくんなさいよ。一人者になッたと思ッて、あんまり酷待ないで下さいよ」「一人者だと」と、西宮はわざとらしく言う。「だッて、一人者じゃアありませんか」と、吉里は西宮を見て淋しく笑い、きッと平田を見つめた。見つめているうちに眼・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・世の士君子、もしこの順席を錯て、他に治国の法を求めなば、時日を経るにしたがい、意外の故障を生じ、不得止して悪政を施すの場合に迫り、民庶もまた不得止して廉恥を忘るるの風俗に陥り、上下ともに失望して、ついには一国の独立もできざるにいたるべし。古・・・ 福沢諭吉 「学校の説」
・・・――そこにはいのちの美しさが、波の立たない底知れぬ深淵のように、静かに凝止している。それは表に現われた優しさの底に隠れる無限の力強さである。人間のあらゆる尊さ美しさは、間髪をいれず人間の肉体によって現わされ、直ちに逆に、人間の肉体を人間以上・・・ 和辻哲郎 「偶像崇拝の心理」
出典:青空文庫