・・・で、八犬士でも為朝でもそれらを否定せぬ様子を現わして居ります。武術や膂力の尊崇された時代であります。で、八犬士や為朝は無論それら武徳の権化のようになって居ります。これらの点をなお多く精密に数えて、そして綜合して一考しまする時は、なるほど馬琴・・・ 幸田露伴 「馬琴の小説とその当時の実社会」
・・・私は人の富や名声に対しては嘗つて畏敬の念を抱いた事は無いが、どういうわけか武術の達人に対してだけは、非常に緊張するのである。自分が人一倍、非力の懦弱者であるせいかも知れない。私は小坂氏一族に対して、ひそかに尊敬をあらたにしたのである。油断は・・・ 太宰治 「佳日」
・・・男子の真価は、武術に在り! (一座色をなせり。逃仕度強くなくちゃいけない。柔道五段、剣道七段、あるいは弓術でも、からて術でも、銃剣術でも、何でもよいが、二段か三段くらいでは、まだ心細い。すくなくとも、五段以上でなければいけない。愚かな意見と・・・ 太宰治 「花吹雪」
・・・この理想はまた一方においてわが国古来のあらゆる芸道はもちろん、ひいてはいろいろの武術の極意とも連関していると見なければならない。また一方においては西欧のユーモアと称するものにまでも一脈の相通ずるものをもっているのである。「絞首台上のユーモア・・・ 寺田寅彦 「俳諧の本質的概論」
・・・息子は体が弱くて、父である青鬼先生に佐分利流の稽古をつけられて度々卒倒するので、これは武術より学問へ進む方がよかろうということになって、二十歳前後には安井息軒についていたらしい。やがて洋学に志を立て、佐久間象山の弟子になって、西洋砲術の免許・・・ 宮本百合子 「繻珍のズボン」
母中條葭江は、明治八年頃東京築地で生れ、五十九歳で没しました。母の実家というのは西村と申し、千葉の佐倉宗五郎の伝説で知られている堀田藩の士で、祖父の代は次男だったので、武術の代りに好きな学問でもやれと言って国学、漢学、蘭学・・・ 宮本百合子 「わが母をおもう」
・・・ところが三郎は成長するに従って武術にも長けて来て、なかなか見どころのある若者となったので養父母も大きに悦び、そこでそれをついに娘の聟にした。 その時三郎は十九で忍藻は十七であった。今から見ればあまりな早婚だけれど、昔はそのようなことには・・・ 山田美妙 「武蔵野」
・・・部下の武士たちへの訓戒もそこから来ているのであって、武術の鍛錬よりも学問や芸術の方を熱心にすすめているのは、そのゆえであろう。力をもって事をなすは下の人であり、心を働かして事をなすのが上の人であるとの立場は、ここにもうはっきりと現われている・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
出典:青空文庫