・・・ こうして一二年の歳月は、何事もなく過ぎて行った。が、その間に朋輩は吉助の挙動に何となく不審な所のあるのを嗅ぎつけた。そこで彼等は好奇心に駆られて、注意深く彼を監視し始めた。すると果して吉助は、朝夕一度ずつ、額に十字を劃して、祈祷を捧げ・・・ 芥川竜之介 「じゅりあの・吉助」
・・・ 自分は先生を見ると同時に、先生と自分とを隔てていた七八年の歳月を、咄嗟に頭の中へ思い浮べた。チョイス・リイダアを習っていた中学の組長と、今ここで葉巻の煙を静に鼻から出している自分と――自分にとってその歳月は、決して短かかったとは思われ・・・ 芥川竜之介 「毛利先生」
・・・年中あくせくとして歳月の廻るに支配されている外に何らの能事も無い。次々と来る小災害のふせぎ、人を弔い己れを悲しむ消極的営みは年として絶ゆることは無い。水害又水害。そうして遂に今度の大水害にこうして苦闘している。 二人が相擁して死を語った・・・ 伊藤左千夫 「水害雑録」
・・・ が、この円転滑脱は天禀でもあったが、長い歳月に段々と練上げたので、ことさらに他人の機嫌を取るためではなかった。その上に余り如才がなさ過ぎて、とかく一人で取持って切廻し過ぎるのでかえって人をテレさせて、「椿岳さんが来ると座が白ける」と度・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
二十五年という歳月は一世紀の四分の一である。決して短かいとは云われぬ。此の間に何十人何百人の事業家、致富家、名士、学者が起ったり仆れたりしたか解らぬ。二十五年前には大外交家小村侯爵はタシカ私立法律学校の貧乏講師であった。英雄広瀬中佐は・・・ 内田魯庵 「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」
・・・もしただ最初の起筆と最後の終結との年次をのみいうならばこれより以上の歳月を閲したものもあるが、二十八年間絶えず稿を続けて全く休息した事がない『八犬伝』の如きはない。僅かに『神稲水滸伝』がこれより以上の年月を費やしてこれより以上の巻を重ねてい・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・おきみ婆さんは昔大阪の二等俳優の細君でしたが、芸者上りの妾のために二人も子のある堀江の家を追いだされて、今日まで二十五年の歳月、その二人の子の継子の身の上を思いつめながら野堂町の歯ブラシ職人の二階を借りて、一人さびしく暮してきたという女でし・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・無論、そのような盛大を来たすには、それ相当の歳月と、苦心がなければならぬ筈だった。効目が卓れていたから、薬がよく売れた、――そんな莫迦げたことは、お前も言うまい。 六 ――凡そ何が醜悪だと言っても、川那子メジシン・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・一代の息は絶えていた。歳月がたつと、一代の想出も次第に薄れて行ったが、しかし折れた針の先のように嫉妬の想いだけは不思議に寺田の胸をチクチクと刺し、毎年春と秋競馬のシーズンが来ると、傷口がうずくようだった。競馬をする人間がすべて一代に関係があ・・・ 織田作之助 「競馬」
・・・ 豊吉はわれ知らずその後について、じっと少年の後ろ影を見ながらゆく、その距離は数十歩である、実は三十年の歳月であった。豊吉は昔のわれを目の前にありありと見た。 少年と犬との影が突然消えたと思うと、その曲がり角のすぐ上の古木、昔のまま・・・ 国木田独歩 「河霧」
出典:青空文庫