・・・寺の壁に残る夕明りにもいます。どこにでも、またいつでもいます。御気をつけなさい。御気をつけなさい。………」 その声がとうとう絶えたと思うと、老人の姿も夕闇の中へ、影が消えるように消えてしまった。と同時に寺の塔からは、眉をひそめたオルガン・・・ 芥川竜之介 「神神の微笑」
・・・その代わり死んだ奴の画は九頭竜の手で後世まで残るんだ。沢本 なんという智慧のない計略を貴様は考え出したもんだ。そんなことを考え出した奴は、自分が先に死ぬがいいんだ。花田 俺が死んでいいかい。……そうだもう一ついうことを忘れていた・・・ 有島武郎 「ドモ又の死」
・・・いっさいの空想を峻拒して、そこに残るただ一つの真実――「必要」! これじつに我々が未来に向って求むべきいっさいである。我々は今最も厳密に、大胆に、自由に「今日」を研究して、そこに我々自身にとっての「明日」の必要を発見しなければならぬ。必要は・・・ 石川啄木 「時代閉塞の現状」
・・・ 脊の伸びたのが枯交り、疎になって、蘆が続く……傍の木納屋、苫屋の袖には、しおらしく嫁菜の花が咲残る。……あの戸口には、羽衣を奪われた素裸の天女が、手鍋を提げて、その男のために苦労しそうにさえ思われた。「これなる松にうつくしき衣・・・ 泉鏡花 「小春の狐」
・・・彼ら無心の毛族も何らか感ずるところあると見え、残る牛も出る牛もいっせいに声を限りと叫び出した。その騒々しさは又自から牽手の心を興奮させる。自分は二頭の牝牛を引いて門を出た。腹部まで水に浸されて引出された乳牛は、どうされると思うのか、右往左往・・・ 伊藤左千夫 「水害雑録」
・・・椿岳から何代目かの淡島堂のお堂守は椿岳の相場が高くなったと聞いて、一枚ぐらいはドコかに貼ってありそうなもんだと、お堂の壁張を残る隈なく引剥がして見たが、とうとう一枚も発見されなかったそうだ。 だが、椿岳の市価は西洋人が買出してから俄に高・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・今や敵国に対して復讐戦を計画するにあらず、鋤と鍬とをもって残る領土の曠漠と闘い、これを田園と化して敵に奪われしものを補わんとしました。まことにクリスチャンらしき計画ではありませんか。真正の平和主義者はかかる計画に出でなければなりません。・・・ 内村鑑三 「デンマルク国の話」
・・・現在に於て、その力が大なるばかりでなく、たとえ母が死んでしまった後でも愛だけは残るのであります。そして、いつまでも、子供を見守っているのです。どれ程、その力が強くして、貴いものであるか分らない。これこそ、真に日本の母性の輝かしい姿なのであり・・・ 小川未明 「お母さんは僕達の太陽」
・・・家を持っちゃ自然と子や孫もできるし、いつまでも君というものは――死んだ後までも残るじゃないですか。」 銭占屋も今はもう独身でない、女房めいた者もできた、したがって家庭が欲しくなったのだろうと思って、私はそう言ってやった。すると、重々しく・・・ 小栗風葉 「世間師」
・・・将棋盤を人生と考え、将棋の駒を心にして来た坂田らしい言葉であり、無学文盲の坂田が吐いた名文句として、後世に残るものである。この一句には坂田でなければ言えないという個性的な影像があり、そして坂田という人の一生を宿命的に象徴しているともいえよう・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
出典:青空文庫