・・・蜜柑、林檎の水菓子屋が負けじと立てた高張も、人の目に着く手術であろう。 古靴屋の手に靴は穿かぬが、外套を売る女の、釦きらきらと羅紗の筒袖。小間物店の若い娘が、毛糸の手袋嵌めたのも、寒さを凌ぐとは見えないで、広告めくのが可憐らしい。 ・・・ 泉鏡花 「露肆」
・・・軒前には、駄菓子店、甘酒の店、飴の湯、水菓子の夜店が並んで、客も集れば、湯女も掛ける。髯が啜る甘酒に、歌の心は見えないが、白い手にむく柿の皮は、染めたささ蟹の糸である。 みな立つ湯気につつまれて、布子も浴衣の色に見えた。 人の出入り・・・ 泉鏡花 「みさごの鮨」
・・・ その上に頗る多食家であって、親しい遠慮のない友達が来ると水菓子だの餅菓子だのと三種も四種も山盛りに積んだのを列べて、お客はそっちのけで片端からムシャムシャと間断なしに頬張りながら話をした。殊に蜜柑と樽柿が好物で、見る間に皮や種子を山の・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・次郎の好きな水菓子なぞを載せて出した。「さあ、次郎ちゃんもおあがり。」 すると、次郎はしぶしぶそれを食って、やがてきげんを直すのであった。 私の四人の子供の中で、三郎は太郎と三つちがい、次郎とは一つちがいの兄弟にあたる。三郎は次・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・(全く自信を取りかえしたものの如く、卓上、山と積まれたる水菓子、バナナ一本を取りあげるより早く頬ばり、ハンケチ出して指先を拭い口を拭い一瞬苦悶、はっと気を取り直したる態私は、このバナナを食うたびごとに思い出す。三年まえ、私は中村地平という少・・・ 太宰治 「喝采」
・・・ 私は母屋へ行って水菓子をもらって来て彼にすすめ、「たべないか。くだものを食べると、酔いがさめて、また大いに飲めるようになるよ」 私は彼がこの調子で、ぐいぐいウイスキイを飲み、いまに大酔いを発し、乱暴を働かないまでも、前後不覚に・・・ 太宰治 「親友交歓」
・・・それから、五丁目あたりの東側の水菓子屋で食わせるアイスクリームが当時の自分には異常に珍しくまたうまいものであった。ヴァニラの香味がなんとも知れず、見た事も聞いた事もない世界の果ての異国への憧憬をそそるのであった。それを、リキュールの杯ぐらい・・・ 寺田寅彦 「銀座アルプス」
・・・床屋のガラス戸からもれる青白い水のような光や、水菓子屋の店先に並べられた緑や紅や黄の色彩は暗やみから出て来た目にまぶしいほどであった。しかしその隣の鍛冶屋の店には薄暗い電燈が一つついているきりで恐ろしく陰気に見えた。店にはすぐに数えつくされ・・・ 寺田寅彦 「芝刈り」
・・・誰に贈るあてもないが一枚を五十銭で買った。水菓子屋の目さめるような店先で立止って足許の甘藍を摘んでみたりしていたが、とうとう蜜柑を四つばかり買って外套の隠しを膨らませた。眼鏡屋の店先へ来ると覘き眼鏡があって婆さんが一人覘いている。此方のレン・・・ 寺田寅彦 「まじょりか皿」
・・・むかし目に見馴れた橢円形の黄いろい真桑瓜は、今日ではいずこの水菓子屋にも殆ど見られないものとなった。黄いろい皮の面に薄緑の筋が六、七本ついているその形は、浮世絵師の描いた狂歌の摺物にその痕を留めるばかり。西瓜もそのころには暗碧の皮の黒びかり・・・ 永井荷風 「西瓜」
出典:青空文庫