・・・ 君が横浜を出帆した日、銅鑼が鳴って、見送りに来た連中が、皆、梯子伝いに、船から波止場へおりると、僕はジョオンズといっしょになった。もっとも、さっき甲板ではちょいと姿を見かけたが、その後、君の船室へもサロンへも顔を出さなかったので、僕は・・・ 芥川竜之介 「出帆」
・・・ 乗る客、下りる客の雑踏の間をわれら大股に歩みて立ち去り、停車場より波止場まで、波止場より南洋丸まで二人一言も交えざりき。 船に上りしころは日ようやく暮れて東の空には月いで、わが影淡く甲板に落ちたり。卓あり、粗末なる椅子二個を備え、・・・ 国木田独歩 「おとずれ」
・・・ 中 佐伯の子弟が語学の師を桂港の波止場に送りし年も暮れて翌年一月の末、ある日源叔父は所用ありて昼前より城下に出でたり。 大空曇りて雪降らんとす。雪はこの地に稀なり、その日の寒さ推して知らる。山村水廓の民、河より・・・ 国木田独歩 「源おじ」
・・・寂しい小さな港の小さな波止場の内から船を出すとすぐ帆を張った、風の具合がいいので船は少し左舷に傾ぎながら心持ちよく馳った。 冬の寒い夜の暗い晩で、大空の星の数も読まるるばかりに鮮やかに、舳で水を切ってゆく先は波暗く島黒く、僕はこの晩のこ・・・ 国木田独歩 「鹿狩り」
・・・雨にぬれた弁天島という島や、黒みかゝった海や、去年の暴風にこわれた波止場や、そこに一艘つないである和船や、発動機船会社の貯油倉庫を私は、窓からいつまでもあきずに眺めたりする。波止場近くの草ッ原の雑草は、一カ月見ないうちに、病人の顎ひげのよう・・・ 黒島伝治 「海賊と遍路」
・・・ 汽車でアーヴルに着いてすっかり港町の気分に包まれる、あの場面のいろいろな音色をもった汽笛の音、起重機の鎖の音などの配列が実によくできていて、ほんとうに波止場に寄せる潮のにおいをかぐような気持ちを起こさせる。発声映画の精髄をつかんだもの・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(4[#「4」はローマ数字、1-13-24])」
・・・途中の駅でもまた函館の波止場でも到る処で見送りが盛んであった。「頑張れよ」「御大事に」「しっかり頼むよ」口々にこうした激励の言葉を投げた。船と埠頭の間に渡した色テープの橋の両側で勇ましい軍歌が起った、人々の顔がみんな酔ったように赤く見えた。・・・ 寺田寅彦 「札幌まで」
・・・船の出るとき同行の芳賀さんと藤代さんは帽子を振って見送りの人々に景気のいい挨拶を送っているのに、先生だけは一人少しはなれた舷側にもたれて身動きもしないでじっと波止場を見おろしていた。船が動き出すと同時に、奥さんが顔にハンケチを当てたのを見た・・・ 寺田寅彦 「夏目漱石先生の追憶」
・・・その後にも海岸の波止場から落ちて溺れかかった事もあった。また射的をしている人の鉄砲の筒口の正面へ突然顔を出して危うく助かった事もあった。大きくなるに従って物を知りたがり、卓布にこぼれた水が干上がるとどうなるかなどと聞いた。内気でそして涙脆く・・・ 寺田寅彦 「レーリー卿(Lord Rayleigh)」
・・・その頃長崎には汽船が横づけになるような波止場はなかった。わたくしは父を訪問しに来た支那人が帰りがけに船梯子を降りながら、サンパンと叫んで小舟を呼んだその声をきき、身は既に異郷にあるが如き一種言いがたい快感を覚えた事を今だに忘れ得ない。 ・・・ 永井荷風 「十九の秋」
出典:青空文庫