・・・が、広い洛中洛外、無量無数の盲人どもに、充ち満ちた所を眺めたら、――有王。お前はどうすると思う? おれならばまっ先にふき出してしまうぞ。おれの島流しも同じ事じゃ。十方に遍満した俊寛どもが、皆ただ一人流されたように、泣きつ喚きつしていると思え・・・ 芥川竜之介 「俊寛」
・・・ この多襄丸と云うやつは、洛中に徘徊する盗人の中でも、女好きのやつでございます。昨年の秋鳥部寺の賓頭盧の後の山に、物詣でに来たらしい女房が一人、女の童と一しょに殺されていたのは、こいつの仕業だとか申して居りました。その月毛に乗っていた女・・・ 芥川竜之介 「藪の中」
・・・そこで洛中のさびれ方は一通りではない。旧記によると、仏像や仏具を打砕いて、その丹がついたり、金銀の箔がついたりした木を、路ばたにつみ重ねて、薪の料に売っていたと云う事である。洛中がその始末であるから、羅生門の修理などは、元より誰も捨てて顧る・・・ 芥川竜之介 「羅生門」
・・・――なから舞いたりしに、御輿の岳、愛宕山の方より黒雲にわかに出来て、洛中にかかると見えければ、―― と唄う。……紫玉は腰を折って地に低く居て、弟子は、その背後に蹲んだ。――八大竜王鳴渡りて、稲妻ひらめきしに、諸人目を・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・しかし『永代蔵』中の一節に或る利発な商人が商売に必要なあらゆる経済ニュースを蒐集し記録して「洛中の重宝」となったことを誌した中に、「木薬屋呉服屋の若い者に長崎の様子を尋ね」という文句がある。「竜の子」を二十両で買ったとか「火喰鳥の卵」を小判・・・ 寺田寅彦 「西鶴と科学」
・・・そして、その気分は嘗て洛中に住む一人の都人であった、彼の誰だか分らない「私」の胸を満たしたと同じに、今、芥川氏の心を揺り、私の魂にまで、そのじわじわと無限に打ち寄せる波動を及ぼしたのである。そして、今、図書館の大きな机の上で我を忘れようとし・・・ 宮本百合子 「無題」
出典:青空文庫