・・・西行や芭蕉は消極的に言えば世をのがれたに相違ないが、積極的に見ればこの自由を求めたとも見られる。 これはしかしただ自分がこの映画を見たときに偶然そう感じたというだけのことであって、もとより作者の意図ではないかもしれない。それにしてもこの・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・白梅の花を見て色のないのを責めるような種類の云わば消極的な抗議が、時と場合によっては幅を利かして審査の標準を狂わせるようなことも全くないとは云われない。審査員というものが神様でない以上これも止むを得ないことである。ましてや論文が独創的なもの・・・ 寺田寅彦 「学位について」
・・・しかし、それはただ表面に現われた性行の変りに過ぎぬので、生れ付き消極的な性質は何処までも変らぬ。それでなければ今頃こんな消極的な俗吏になって、毎日同じような消極的な仕事を不思議とも思わずやっている筈はないかも知れぬ。いったい自分は法科などへ・・・ 寺田寅彦 「枯菊の影」
・・・ しかしこれはあまりに消極的な考えかもしれない。自分はここでそういう古い消極的な独善主義を宣伝しようというのではない。また自然の野山に黙って咲く草木の花のように、ありとあらゆる美しい事、善い事が併立して行かれないからと言って、そのために・・・ 寺田寅彦 「神田を散歩して」
・・・それには積極的と消極的と二つの理由があった。第一前に言ったスイス人がいろいろの花のうちでもなかんずくたくさんにこの花を作っているという事を姉から聞いていた。その時に姉がこの名を妙な発音で言った事も彼に特殊な印象を強めたのであった。それでこの・・・ 寺田寅彦 「球根」
・・・ 日本の歴史は少年のころよりわたくしに対しては隠棲といい、退嬰と称するが如き消極的処世の道を教えた。源平時代の史乗と伝奇とは平氏の運命の美なること落花の如くなることを知らしめた。『太平記』の繙読は藤原藤房の生涯について景仰の念を起させた・・・ 永井荷風 「西瓜」
・・・ その二通りのうち一つは積極的のもので、一つは消極的のものである。何か月並のような講釈をしてすみませんが、人間活力の発現上積極的と云う言葉を用いますと、勢力の消耗を意味する事になる。またもう一つの方はこれとは反対に勢力の消耗をできるだけ・・・ 夏目漱石 「現代日本の開化」
・・・もっともその驚き方を解剖して見るとみんな消極的である。第一あんなに背の高い人とは思わなかった。あんなに頑丈な骨骼を持った人とは思わなかった。あんなに無粋な肩幅のある人とは思わなかった。あんなに角張った顎の所有者とは思わなかった。君の風ふうぼ・・・ 夏目漱石 「長谷川君と余」
・・・芭蕉のごとく消極的な俳句を造るものでも李白のような放縦な詩を詠ずるものでもけっして閑人ではありません。普通の大臣豪族よりも、有意義な生活を送って、皆それぞれに人生の大目的に貢献しております。 理想とは何でもない。いかにして生存するがもっ・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・他の factor 即ち consumption of energy の努力は積極的のもので、或種の人達からは国力等の立場より見做して消極的なものと誤解されている、文学、美術、音楽、演劇等はこの方面に属します。これらのものはなくてすむもので・・・ 夏目漱石 「無題」
出典:青空文庫