・・・その上を蟻が清らかに匍っていた。 冷たい楓の肌を見ていると、ひぜんのようについている蘚の模様が美しく見えた。 子供の時の茣蓙遊びの記憶――ことにその触感が蘇えった。 やはり楓の樹の下である。松葉が散って蟻が匍っている。地面にはで・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
・・・毛は肩にたれて、まっ白な花をさした少女やそのほか、なんとなく気恥ずかしくってよくは見えませんでした、ただ一様に清らかで美しいと感じました。高い天井、白い壁、その上ならず壇の上には時ならぬ草花、薔薇などがきれいな花瓶にさしてありまして、そのせ・・・ 国木田独歩 「あの時分」
・・・ 嫌悪すべき壮年期が如何に人生のがらくたを一杯引っくり返してあらわれてこようとも、せめて美しく、清らかな青春時代を持たねばならぬ。ましてその青春を学窓にあってすごし得ることは、五百人に一人しか恵まれない幸福である。それは学生諸君が自分で・・・ 倉田百三 「学生と生活」
・・・ だから女性の人生における受持は、その天賦の霊性をもって、人生を柔げ、和ませ、清らかにし、また男子を正義と事業とに励ますことであろう。 がその女性の霊性というものは、やはり宗教心まで達しないと本当の光りを放つことは期待できない。霊性・・・ 倉田百三 「女性の諸問題」
・・・一体に桑が仕付けてあるその遥に下の方の低いところで、いずれも十三四という女の児が、さすがに辺鄙でも媚き立つ年頃だけに紅いものや青いものが遠くからも見え渡る扮装をして、小籃を片手に、節こそ鄙びてはおれど清らかな高い徹る声で、桑の嫩葉を摘みなが・・・ 幸田露伴 「雁坂越」
・・・その眼は清らかに澄み、その面は明らかに晴れていた。自分は小嚢から沈子を出して与え、かつそのシカケを改めて遣ろうとした。ところが少年は、 いいよ、僕、出来るから。といって、自らシカケを直した。一ト通りの沈子釣の装置の仕方ぐらいは知って・・・ 幸田露伴 「蘆声」
・・・一点にごらぬ清らかの生活を営み、友にも厚き好学の青年、創作に於いては秀抜の技量を有し、その日その日の暮しに困らぬほどの財産さえあったのに、サラリイマンを尊び、あこがれ、ついには恐れて、おのが知れる限りのサラリイマンに、阿諛、追従、見るにしの・・・ 太宰治 「狂言の神」
・・・「口では、どんな清らかな事でも言える。わしには、人の腹綿の奥底が見え透いてならぬ。おまえだって、いまに、磔になってから、泣いて詫びたって聞かぬぞ。」「ああ、王は悧巧だ。自惚れているがよい。私は、ちゃんと死ぬる覚悟で居るのに。命乞いなど決・・・ 太宰治 「走れメロス」
・・・女は、しんから、平気で、清らかな眼さえしていた。「ほんとうに、すぐお帰りになるの?」「かえる。」笠井さんは、どてらを脱いで身仕度をはじめた。下手におていさいをつくろって、やせ我慢して愚図々々がんばって居るよりは、どうせ失態を見られたのだ・・・ 太宰治 「八十八夜」
・・・そういうときに、清らかに明るい喫茶店にはいって、暖かいストーブのそばのマーブルのテーブルを前に腰かけてすする熱いコーヒーは、そういう夢幻的の空想を発酵させるに適したものである。 中学校で教わったナショナルリーダーの「マッチ売りの娘」の幻・・・ 寺田寅彦 「銀座アルプス」
出典:青空文庫