・・・明日の授受が済むまでは、縦令永年見慣れて来た早田でも、事業のうえ、競争者の手先と思わなければならぬという意識が、父の胸にはわだかまっているのだ。いわば公私の区別とでもいうものをこれほど露骨にさらけ出して見せる父の気持ちを、彼はなぜか不快に思・・・ 有島武郎 「親子」
・・・ しかし今でもこの町に行く人があれば春でも夏でも秋でも冬でもちょうど日がくれて仕事が済む時、灯がついて夕炊のけむりが家々から立ち上る時、すべてのものが楽しく休むその時にお寺の高い塔の上から澄んだすずしい鐘の音が聞こえて鬼であれ魔であれ、・・・ 有島武郎 「燕と王子」
・・・儀式は皆済む。もう刑の執行より外は残っていない。 死である。 この刹那には、この場にありあわしただけの人が皆同じ感じに支配せられている。どうして、この黒い上衣を着て、シルクハットを被った二十人の男が、この意識して、生きた目で、自分達・・・ 著:アルチバシェッフミハイル・ペトローヴィチ 訳:森鴎外 「罪人」
B おい、おれは今度また引越しをしたぜ。A そうか。君は来るたんび引越しの披露をして行くね。B それは僕には引越し位の外に何もわざわざ披露するような事件が無いからだ。A 葉書でも済むよ。B しかし今度のは葉書では済まん。・・・ 石川啄木 「一利己主義者と友人との対話」
・・・かくてともかくにポストの三めぐりが済むとなお今一度と慥めるために、ポストの方を振り返って見る。即ちこれ程の手数を経なければ、自分は到底安心することが出来なかったのである。 しかるにある時この醜態を先生に発見せられ、一喝「お前はなぜそんな・・・ 泉鏡花 「おばけずきのいわれ少々と処女作」
・・・ 時雨の雲の暗い晩、寂しい水菜で夕餉が済む、と箸も下に置かぬ前から、織次はどうしても持たねばならない、と言って強請った、新撰物理書という四冊ものの黒表紙。これがなければ学校へ通われぬと言うのではない。科目は教師が黒板に書いて教授するのを・・・ 泉鏡花 「国貞えがく」
・・・ 天災地変の禍害というも、これが単に財産居住を失うに止まるか、もしくはその身一身を処決して済むものであるならば、その悲惨は必ずしも惨の極なるものではない。一身係累を顧みるの念が少ないならば、早く禍の免れ難きを覚悟したとき、自ら振作するの・・・ 伊藤左千夫 「水害雑録」
・・・「まア、こういう人間は云いたいだけ云わして置きゃア済むんですよ。」「そうどすか?」と、細君は亭主の方へ顔を向けた。「まだ女房にしかられる様な阿房やない。」「そやさかい、岩田はんに頼んどるのやおまへんか?」「女郎どもは、ま・・・ 岩野泡鳴 「戦話」
・・・ 斯うなると文人は袋物屋さんや下駄屋さんや差配人さんを理想とせずとも済む。文人は文人として相当に生活できる。仮令猶お立派に門戸を張る事が出来なくとも、他の腰弁生活を羨むほどの事は無い。公民権もある、選挙権もある。市の廓清も議院の改造も出・・・ 内田魯庵 「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」
・・・請ぜられるままお光は座に就いて、お互いに挨拶も済むと、娘は茶の支度にと引っ込む。「一昨日はどうも……御病人のおあんなさるとこへ長々と談し込んでしまいまして、さぞ御迷惑なさいましたでしょうねえ。どうでございますね? 御病人は」「どうも・・・ 小栗風葉 「深川女房」
出典:青空文庫