・・・悪くすると、同伴に催促されるまで酔潰れかねないのが、うろ抜けになって出たのである。どうかしてるぜ、憑ものがしたようだ、怪我をしはしないか、と深切なのは、うしろを通して立ったまま見送ったそうである。 が、開き直って、今晩は、環海ビルジング・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・ 菊枝は、硫黄ヶ島の若布のごとき襤褸蒲団にくるまって、抜綿の丸げたのを枕にしている、これさえじかづけであるのに、親仁が水でも吐したせいか、船へ上げられた時よりは髪がひっ潰れて、今もびっしょりで哀である、昨夜はこの雫の垂るる下で、死際の蟋・・・ 泉鏡花 「葛飾砂子」
・・・と、成程左の頬がぷくりとうだばれたのを、堪難い状に掌で抱えて、首を引傾けた同じ方の一眼が白くどろんとして潰れている。その目からも、ぶよぶよした唇からも、汚い液が垂れそうな塩梅。「お慈悲じゃ。」と更に拝んで、「手足に五寸釘を打たりょうとても、・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・「ほんとうに胆が潰れたね。今思ってもぞッとする……別嬪なのと、不意討で……」「お巧言ばっかり。」 と、少し身を寄せたが、さしうつむく。「串戯じゃありません。……の時のごときは、頭から霜を浴びて潟の底へ引込まれるかと思ったのさ・・・ 泉鏡花 「鷭狩」
・・・……そこで一頃は東京住居をしておりましたが、何でも一旦微禄した家を、故郷に打っ開けて、村中の面を見返すと申して、估券潰れの古家を買いまして、両三年前から、その伜の学士先生の嫁御、近頃で申す若夫人と、二人で引き籠もっておりますが。……菜大根、・・・ 泉鏡花 「眉かくしの霊」
・・・早い話が、この時もしおれが居なければ、あの新聞は四号で潰れていたところだ。当時お前も、「――古座谷さん、この恩は一生忘れませんぞ」 と、呶鳴るように言っていたくらい、随分尽してやったものだ。印刷は無論ただ同然で引き受けてやったし、記・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・ で、弥移居を始めてこれに一朝全潰れ。傷も痛だが、何のそれしきの事に屈るものか。もう健康な時の心持は忘たようで、全く憶出せず、何となく痛に慣んだ形だ。一間ばかりの所を一朝かかって居去って、旧の処へ辛うじて辿着きは着いたが、さて新鮮の空気・・・ 著:ガールシンフセヴォロド・ミハイロヴィチ 訳:二葉亭四迷 「四日間」
・・・さもないと箸の先で汚ならしくも潰れてしまわないとも限らないのである。しかしそれでもまだそれに弾ねられて汁のなかへ落ち込んだりするのがいた。 最後に彼らを見るのは夜、私が寝床へはいるときであった。彼らはみな天井に貼りついていた。凝っと、死・・・ 梶井基次郎 「冬の蠅」
・・・と独語つところへ、うッそりと来かかる四十ばかりの男、薄汚い衣服、髪垢だらけの頭したるが、裏口から覗きこみながら、異に潰れた声で呼ぶ。「大将、風邪でも引かしッたか。 両手で頬杖しながら匍匐臥にまだ臥たる主人、懶惰にも眼ばかり動かし・・・ 幸田露伴 「貧乏」
・・・こんな醜怪なからだになって、めそめそ泣きべそ掻いたって、ちっとも可愛くないばかりか、いよいよ熟柿がぐしゃと潰れたみたいに滑稽で、あさましく、手もつけられぬ悲惨の光景になってしまう。泣いては、いけない。隠してしまおう。あの人は、まだ知らない。・・・ 太宰治 「皮膚と心」
出典:青空文庫