・・・二階は三畳の間が二間、四畳半が一間、それから八畳か十畳ほどの広い座敷には、寝台、椅子、卓子を据え、壁には壁紙、窓には窓掛、畳には敷物を敷き、天井の電燈にも装飾を施し、テーブルの上にはマッチ灰皿の外に、『スタア』という雑誌のよごれたのが一冊載・・・ 永井荷風 「寺じまの記」
・・・マッチと埃及煙草と灰皿があった。余は埃及煙草を吹かしながら先生と話をした。けれども部屋を出て、下の食堂へ案内されるまで、余はついに先生の書斎にどんな書物がどんなに並んでいたかを知らずに過ぎた。 花やかな金文字や赤や青の背表紙が余の眼を刺・・・ 夏目漱石 「ケーベル先生」
・・・ 朝日の吸殻を、灰皿に代用している石決明貝に棄てると同時に、木村は何やら思い附いたという風で、独笑をして、側の机に十冊ばかり積み上げてある manuscrits らしいものを一抱きに抱いて、それを用箪笥の上に運んだ。 それは日出新聞・・・ 森鴎外 「あそび」
・・・ これまで例の口の端の括弧を二重三重にして、妙な微笑を顔に湛えて、葉巻の烟を吹きながら聞いていた綾小路は、煙草の灰を灰皿に叩き落して、身を起しながら、「駄目だ」と、簡単に一言云って、煖炉を背にして立った。そしてめまぐろしく歩き廻りながら・・・ 森鴎外 「かのように」
・・・飯を済ませて、さっき手紙を書き始めるとき、灰皿の上に置いた葉巻の呑みさしに火を附けて、北表の縁に出た。空はいつの間にか薄い灰色になっている。汽車の音がする。「蝙蝠傘張替修繕は好うがすの」と呼んで、前の往来を通るものがある。糸車のぶうんぶ・・・ 森鴎外 「鶏」
・・・ 葉巻の灰が崩れそうになったので、久保田は卓に歩み寄って、灰皿に灰を落した。 卓の上に置いてある本があるので、なんだろうと思って手に取って見た。 向うの窓の方に寄せて置いてある、古い、金縁の本は、聖書かと思って開けて見ると、Di・・・ 森鴎外 「花子」
・・・渡辺は無意識に微笑をよそおってソファから起きあがって、葉巻を灰皿に投げた。女は、附いて来て戸口に立ちどまっている給仕をちょっと見返って、その目を渡辺に移した。ブリュネットの女の、褐色の、大きい目である。この目は昔たびたび見たことのある目であ・・・ 森鴎外 「普請中」
出典:青空文庫