・・・比叡山――それを背景にして、紡績工場の煙突が煙を立登らせていた。赤煉瓦の建物。ポスト。荒神橋には自転車が通り、パラソルや馬力が動いていた。日蔭は磧に伸び、物売りのラッパが鳴っていた。 五 喬は夜更けまで街をほっつき歩・・・ 梶井基次郎 「ある心の風景」
・・・ 時どき烟を吐く煙突があって、田野はその辺りから展けていた。レンブラントの素描めいた風景が散らばっている。 黝い木立。百姓家。街道。そして青田のなかに褪赭の煉瓦の煙突。 小さい軽便が海の方からやって来る。 海からあがって来た・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
・・・「其処で田園の中央に家がある、構造は極めて粗末だが一見米国風に出来ている、新英洲殖民地時代そのままという風に出来ている、屋根がこう急勾配になって物々しい煙突が横の方に一ツ。窓を幾個附けたものかと僕は非常に気を揉んだことがあったッけ……」・・・ 国木田独歩 「牛肉と馬鈴薯」
・・・白い粘土で塗りかためられた煙突からは、紫色の煙が薄く、かすかに立のぼりはじめたばかりだ。 ウォルコフは、手綱をはなし、やわい板の階段を登って、扉を叩いた。 寝室の窓から、彼が来たことを見ていた三十すぎのユーブカをつけた女は戸口へ廻っ・・・ 黒島伝治 「パルチザン・ウォルコフ」
・・・そして、醤油を煮ている釜の傍の大きな煉瓦の煙突の下に来た。涙は、なおつづいて出た。すると悲しくてたまらなくなって来た。顔を煙突につけると、煉瓦は中を通る煙の熱で温くなっていた。頭がずきんずきん痛んだ。手を触れると、丁度てっぺんが腫れ上ってい・・・ 黒島伝治 「まかないの棒」
・・・中川沿岸も今でこそ各種の工場の煙突や建物なども見え、人の往来も繁く人家も多くなっているが、その時分は隅田川沿いの寺島や隅田の村でさえさほどに賑やかではなくて、長閑な別荘地的の光景を存していたのだから、まして中川沿い、しかも平井橋から上の、奥・・・ 幸田露伴 「蘆声」
・・・あの細長い煙突は、桃の湯という銭湯屋のものであるが、青い煙を風のながれるままにおとなしく北方へなびかせている。あの煙突の真下の赤い西洋甍は、なんとかいう有名な将軍のものであって、あのへんから毎夜、謡曲のしらべが聞えるのだ。赤い甍から椎の並木・・・ 太宰治 「彼は昔の彼ならず」
・・・火葬場の煙突のような大きい煙突が立っていた。曇天である。省線のガードが見える。 給仕人に背を向けて窓のそとを眺めたまま、「コーヒーと、それから、――」言いかけて、しばらくだまっていた。くるっと給仕人のほうへ向き直り、「まあ、いい。外・・・ 太宰治 「火の鳥」
・・・ 弥勒の村は、今では変わってにぎやかになったけれども、その時分はさびしいさびしい村だッた、その湯屋の煙突からは、静かに白い煙が立ち、用水縁の小川屋の前の畠では、百姓の塵埃を燃している煙が斜めになびいていた。 私とO君とは、その小川屋・・・ 田山花袋 「『田舎教師』について」
・・・たとえばいちばん始めに映出される屋上の「煙突のある風景」が最後にもう一度現われて、この一巻の「パリのスケッチ」の首尾の表軸となり締めくくりをつけていることなどがそれである。また始めにはカメラが、従って観客が、あたかも鳥にでもなったように高い・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
出典:青空文庫