・・・怪しげな煙筒からは風にこきおろされた煙の中にまじって火花が飛び散っていた。店は熔炉の火口を開いたように明るくて、馬鹿馬鹿しくだだっ広い北海道の七間道路が向側まではっきりと照らされていた。片側町ではあるけれども、とにかく家並があるだけに、強て・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・ と見る、偉大なる煙筒のごとき煙の柱が、群湧いた、入道雲の頂へ、海ある空へ真黒にすくと立つと、太陽を横に並木の正面、根を赫と赤く焼いた。「火事――」と道の中へ衝と出た、人の飛ぶ足より疾く、黒煙は幅を拡げ、屏風を立てて、千仭の断崖を切・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・暗きこと、往来のまん中に脱ぎ捨てたる草鞋の片足の、霜に凍て附きて堅くなりたること、路傍にすくすくと立ち併べる枯れ柳の、一陣の北風に颯と音していっせいに南に靡くこと、はるかあなたにぬっくと立てる電燈局の煙筒より一縷の煙の立ち騰ること等、およそ・・・ 泉鏡花 「夜行巡査」
・・・…… 二階の窓ガラス越しに、煙害騒ぎの喧ましい二本の大煙筒が、硫黄臭い煙を吐いているのがいつも眺められた。家のすぐ傍を石炭や礦石を運ぶ電車が、夜昼のかまいなく激しい音を立てて運転していた。丈の低い笹と薄のほかには生ええない周囲の山々には・・・ 葛西善蔵 「贋物」
・・・釜のない煙筒のない長い汽車を、支那苦力が幾百人となく寄ってたかって、ちょうど蟻が大きな獲物を運んでいくように、えっさらおっさら押していく。 夕日が画のように斜めにさし渡った。 さっきの下士があそこに乗っている。あの一段高い米の叺の積・・・ 田山花袋 「一兵卒」
・・・左は角筈の工場の幾棟、細い煙筒からはもう労働に取りかかった朝の煙がくろく低く靡いている。晴れた空には林を越して電信柱が頭だけ見える。 男はてくてくと歩いていく。 田畝を越すと、二間幅の石ころ道、柴垣、樫垣、要垣、その絶え間絶え間にガ・・・ 田山花袋 「少女病」
・・・ 〔一九二八年〕二月三日 モスクワ 午後三時半頃日沈、溶鉱炉から火玉をふき上げたような赤い太陽光輪のない北極的太陽 雪のある家々の上にあり 細い煙筒の煙がその赤い太陽に吹き上げて居た。 五時すぎ モスクワ・・・ 宮本百合子 「一九二七年八月より」
十月の澄んだ秋の日に、北部太平洋が濃い藍色に燦いた。波の音は聴えない。つめたそうに冴え冴え遠い海面迄輝いている。船舶の太い細い煙筒が玩具のように鮮かにくっきり水平線に立っていた。 空には雲もなく、四辺は森としている。何・・・ 宮本百合子 「翔び去る印象」
・・・ ○大きな太い煉瓦の煙筒に、すりついたように見える小さい木造の黒坊の小屋。○十二月一日 小川未明さんが、その小説の中に「いろいろの連想をもった自分には非常になつかしく思われるものも、他人にとっては、一文の価値さえないものだ」・・・ 宮本百合子 「無題(二)」
・・・ジョソン博士が麦酒を飲みながら片手に長煙筒を持ってビール盃を出す料理屋がフリート町にある。その半木造の家で昔ジョンソン自身が現代の新聞社街を支配する資本家を知らずに酔っぱらった。そして気焔を吐いた。 ハイド公園に近いピカデリー通りで貴族・・・ 宮本百合子 「ロンドン一九二九年」
出典:青空文庫