・・・則曰ク七軒町、曰ク宮永町、曰ク片町等ハ倶ニ皆廓外ニシテ旧来ノ商坊ナリ。曰ク藍染町、曰ク清水町、曰ク八重垣町等ハ僉廓内ニシテ再興以来ノ新巷ナリ。爾シテ花街ハ其ノ三分ノ一ニ居ル。昔日ハ即根津権現ノ社内ニシテ而モ久古ノ柳巷ナリ。卒ニ天保ノ改革ニ当・・・ 永井荷風 「上野」
・・・例えば伽羅くさき人の仮寝や朧月女倶して内裏拝まん朧月薬盗む女やはある朧月河内路や東風吹き送る巫が袖片町にさらさ染るや春の風春水や四条五条の橋の下梅散るや螺鈿こぼるゝ卓の上玉人の座右に開く椿かな梨の花月・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・ 今居る片町十番地の家が見つかったのは、八月の下旬であった。 赤門前に頼み始めた頃から、此処に空家のあることは分って居たのだ。が、自分には余り場所が悪く思われた。恐ろしく貧弱に感じられた。其上、先住が建てた風呂場を二百円で買うか、従・・・ 宮本百合子 「小さき家の生活」
・・・ その事が定って間もなく、或朝、自分が未だ眠って居る時分、祖母自身、歩いて片町迄来られた。 何事かと思って会うと、彼女は、祝いの記念に、何か私の欲しいものを作って遣りたい。裾模様の着物がよかろうと思って相談に来た、と云われるのである・・・ 宮本百合子 「二つの家を繋ぐ回想」
・・・ 片町からでは、単に往復するだけで、三時間余もかかる。雨の日、混雑の時、それ丈徒に神経を浪費することは決して彼の為によくない。余り精力家でないAが、不機嫌な蒼い顔をして、一日の働から戻って来るのを見るのは、良心的に堪らない。今度は、もう・・・ 宮本百合子 「又、家」
・・・新片町や飯倉片町の家は、借家であって、藤村の好みによった建築ではないが、しかしああいう場所の借家を選ぶということのなかに、十分に藤村の好みが現われているのである。随筆集の一つを『市井にありて』と名づけている藤村の気持ちのうちには、その好みが・・・ 和辻哲郎 「藤村の個性」
出典:青空文庫