・・・……それは余りに理由ないことであった。「何しろ身分が身分なんだから、それは大したものに違いなかろうからな、一々開けて検べて見るなんて出来た訳のものではなかろう。つまり偶然に、斯うした傷物が俺に当ったという訳だ……」 それが当然の考え・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・に『おしゃべり』のあだ名を与えてもはや彼の勝手に任しおり候 おしゃべりはともかくも小供のためにあの仲のよい姑と嫁がどうして衝突を、と驚かれ候わんかなれど決してご心配には及ばず候、これには奇々妙々の理由あることにて、天保十四年生まれの母上・・・ 国木田独歩 「初孫」
・・・婦人運動実行家等の社会的特殊才能ある婦人はいうまでもなく、教員、記者、技術家、工芸家、飛行家、タイピストの知能的職業方面への婦人の進出は著しいものであるが、これらは将来理想的社会においても抑止さるべき理由はないであろう。 しかしながら婦・・・ 倉田百三 「婦人と職業」
・・・が、盗んだ者だという理由にはならなかった。けれども、実際には、帳尻を合わしていない、投げやりな、そういう者に限って人のいゝ男が、ひどい馬鹿を見るのだ。 憲兵が取調べる際にも、やはり、その弱点を掴むことに伍長と上等兵の眼は向けられた。彼等・・・ 黒島伝治 「穴」
・・・人の分相応――わたくしは分外のことを期待せぬ――の社会価値を有して死ぬとすれば、病死も、餓死も、凍死も、溺死も、震死も、轢死も、縊死も、負傷の死も、窒息の死も、自殺も、他殺も、なんの哀弔し、嫌忌すべき理由もないのである。 それならば、す・・・ 幸徳秋水 「死刑の前」
・・・Y署の二十九日が終ると、裁判所へ呼び出されて、予審判事から検事の起訴理由を読みきかせられた。それから簡単な調書をとられた。「じゃ、T刑務所へ廻っていてもらいます。いずれ又そこでお目にかゝりましょう。」 好男子で、スンなりとのびた白い・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・でも、私も子に甘い証拠には、何かの理由さえあれば、それで娘のわがままを許したいと思ったのである。お徳に言わせると、末子の同級生で新調の校服を着て学校通いをするような娘は今は一人もないとのことだった。「そんなに、みんな迷っているのかなあ。・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・ 思わず、私は、噴き出しました。理由のわからない可笑しさが、ひょいとこみ上げて来たのです。あわてて口をおさえて、おかみさんのほうを見ると、おかみさんも妙に笑ってうつむきました。それから、ご亭主も、仕方無さそうに苦笑いして、「いや、ま・・・ 太宰治 「ヴィヨンの妻」
・・・ 突然肩を捉えるものがある。 日本人だ、わが同胞だ、下士だ。 「貴様はなんだ?」 かれは苦しい身を起こした。 「どうしてこの車に乗った?」 理由を説明するのがつらかった。いや口をきくのも厭なのだ。 「この車に乗っ・・・ 田山花袋 「一兵卒」
・・・その理由は第一こういう教育は官辺の影響のために本質的に出来にくいし、また頭の成熟しないものが政治上の事にたずさわるのは一体早過ぎるというのである。その代り生徒に何かしら実用になる手工を必修させ、指物なり製本なり錠前なりとにかく物になるだけに・・・ 寺田寅彦 「アインシュタインの教育観」
出典:青空文庫