・・・浅間の社で、釜で甘酒を売る茶店へ休んだ時、鳩と一所に日南ぼっこをする婆さんに、阿部川の川原で、桜の頃は土地の人が、毛氈に重詰もので、花の酒宴をする、と言うのを聞いた。――阿部川の道を訊ねたについてである。――都路の唄につけても、此処を府中と・・・ 泉鏡花 「雛がたり」
・・・軒前には、駄菓子店、甘酒の店、飴の湯、水菓子の夜店が並んで、客も集れば、湯女も掛ける。髯が啜る甘酒に、歌の心は見えないが、白い手にむく柿の皮は、染めたささ蟹の糸である。 みな立つ湯気につつまれて、布子も浴衣の色に見えた。 人の出入り・・・ 泉鏡花 「みさごの鮨」
・・・えばござりますともござりますともこればかりでも青と黄と褐と淡紅色と襦袢の袖突きつけられおのれがと俊雄が思いきって引き寄せんとするをお夏は飛び退きその手は頂きませぬあなたには小春さんがと起したり倒したり甘酒進上の第一義俊雄はぎりぎり決着ありた・・・ 斎藤緑雨 「かくれんぼ」
・・・「そうですね。甘酒かおしるこか。」「何か、たべたいね。」「さあ、ほかに何も、おいしいものなんて、ないでしょう?」「親子どんぶりのようなものが、ないだろうか。」老人の癖に大食なのである。 私は赤面するばかりである。先生は、・・・ 太宰治 「黄村先生言行録」
・・・その床几の上に、あぐらをかいて池の面を、ぼんやり眺め、一杯のおしるこ、或は甘酒をすするならば、私の舌端は、おもむろにほどけて、さて、おのれの思念開陳は、自由濶達、ふだん思ってもいない事まで、まことしやかに述べ来り、説き去り、とどまるところを・・・ 太宰治 「乞食学生」
・・・私は馬場と上野公園内の甘酒屋で知り合った。清水寺のすぐちかくに赤い毛氈を敷いた縁台を二つならべて置いてある小さな甘酒屋で知り合った。 私が講義のあいまあいまに大学の裏門から公園へぶらぶら歩いて出ていって、その甘酒屋にちょいちょい立ち寄っ・・・ 太宰治 「ダス・ゲマイネ」
・・・お酒どころか、その頃の日本の飲食店には、既にコーヒーも甘酒も、何も無くなっていたのである。 茶店の娘さんに冷く断られても、しかし、僕はひるまなかった。「御主人がいませんか。ちょっと逢いたいのですが。」と僕は真面目くさってそう言った。・・・ 太宰治 「未帰還の友に」
・・・ これは後に知ったことであるが、仮名垣魯文の門人であった野崎左文の地理書に委しく記載されているとおり、下総の国栗原郡勝鹿というところに瓊杵神という神が祀られ、その土地から甘酒のような泉が湧き、いかなる旱天にも涸れたことがないというのであ・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
・・・ 腸の方は、少しずつよい方に向い、祖母は甘酒を頻りに啜った。食慾は余りつかない。そのうちに父が九州まで出張しなければならなくなった。用事は彼を待っているが気が進まず、やっと、医師の保証で出立した。出立の夕方父は、隠居所に行った。「一・・・ 宮本百合子 「祖母のために」
・・・汁粉屋がある。甘酒屋がある。赤い洞の両側には見せ物小屋やらおもちゃ店やらが出来ている。洞を潜って社に這入ると、神主がお初穂と云って金を受け取って、番号札をわたす。伺を立てる人をその番号順に呼び入れるのである。 文吉は持っていただけの銭を・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
出典:青空文庫