・・・しかし今日はぜひ諸君に聞いていただかねばならぬ用事があったことですから悪しからず許してください。 私がこの農場を何とか処分するとのことは新聞にも出たから、諸君もどうすることかといろいろ考えておられたろうし、また先ごろは農場監督の吉川氏か・・・ 有島武郎 「小作人への告別」
・・・「おい、気の毒だがちょっと用事だ。」 と袖から蛇の首のように捕縄をのぞかせた。 膝をなえたように支きながら、お千は宗吉を背後に囲って、「……この人は……」「いや、小僧に用はない。すぐおいで。」「宗ちゃん、……朝の御飯・・・ 泉鏡花 「売色鴨南蛮」
・・・というは馬喰町の郡代屋敷へ訴訟に上る地方人の告訴状の代書もすれば相談対手にもなる、走り使いもすれば下駄も洗う、逗留客の屋外囲の用事は何でも引受ける重宝人であった。その頃訴訟のため度々上府した幸手の大百姓があって、或年財布を忘れて帰国したのを・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・私も毎日、神さまをありがたいと心ではお礼を申さない日はないが、つい用事にかまけて、たびたびお山へおまいりにゆきもしない。いいところへ気がつきなされた。私の分もよくお礼を申してきておくれ。」と、おじいさんは答えました。 おばあさんは、とぼ・・・ 小川未明 「赤いろうそくと人魚」
・・・「言ったってかまわないけど……どんな用事があるか分りもしないのに、遊びに行ったなんて、なぜそんなよけいなことをお言いだね?」「じゃ、やっぱり金さんのとこへ? へへへへそうだろうと思ってちょっと鎌かけたんで」「まあ、人が悪いね?」・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・ときには洋装の若い女が来て、しきりに洗っているとFさんにきいて、私は何となく心を惹かれ、用事のあるなしにつけ千日前へ出るたびにこの寺にはいって、地蔵の前をぶらぶらうろうろした。そしてある日、遂に地蔵の胸に水を掛け水を掛け、たわしで洗い洗いし・・・ 織田作之助 「大阪発見」
・・・明日はこの村の登記所へ私たちはちょっとした用事があった。私たちの村はもう一つ先きの駅なのだが、父が村にわずかばかし遺して行ってくれた畑などの名義の書き替えは、やはりここの登記所ですませねばならなかった。それだけが今度の残務だった。「登記・・・ 葛西善蔵 「父の葬式」
・・・ 学校の植物の標本を造っている。用事に町へ行ったついでなどに、雑草をたくさん風呂敷へ入れて帰って来る。勝子が欲しがるので勝子にも頒けてやったりなどして、独りせっせとおしをかけいる。 勝子が彼女の写真帖を引き出して来て、彼のところへ持・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
・・・』『用事は何であったね、縁談じゃアなかったか。』『そうでございました、難波へ嫁にゆけというのであります。』『お前はどうして』と問われてお絹ためらいしが『叔父さんとよく相談してと生返事をして置きました。』『そうか』と叔父は・・・ 国木田独歩 「置土産」
・・・たまに上京したとき岩波君がせめて東京見物させようと思っても、用事がすむとさっさと帰郷してしまった。息子を勉強させたいばかりに働いていたのだ。そして岩波君が志操ある書店主として立派に成功したとき、孝養を思っても母はもう世を去っていた。 ガ・・・ 倉田百三 「女性の諸問題」
出典:青空文庫