・・・あわれはかなき人の世のうつろいを暗示する姿として自然が文学に描かれ、徳川時代の町人文学の擡頭時代には、すでに万葉時代の暢やかさ、豊醇さは自然の描写から遠く失われ、一方に無情的自然観を伝承していると同時に、町人の遊山の場面として生活に入って来・・・ 宮本百合子 「自然描写における社会性について」
・・・桜の園の髄を貫いているのは、現在のロシアにおいては過去の社会現象に属する地主と町人との地位交換問題ではない。ある時代のロシアの魂、その魂は、ロシアばかりにしかなくて、ロシア生活の根で二千百三十五万二千平方粁の上に発生する感情と智慧はそれから・・・ 宮本百合子 「シナーニ書店のベンチ」
・・・ 近松門左衛門は封建の枠にしばられなくなった武家、町人などの人間性の横溢をその悲劇的な浄瑠璃の中で表現した。そして、当時の人々の袖をしぼらせたのであったが、ここには様々の女性のタイプがその犠牲や献身や惨酷さにおいて扱われている。しかし、・・・ 宮本百合子 「女性の歴史」
・・・そのとき、大人気ないという日本の表現が、主として徳川時代の武士と町人の身分関係を、無権利だった町人の側から表現した言葉だということについては、吟味されなかった。 あのころ、大人気ない行動をしなかった知性から、大人気ないものとして一種の嫌・・・ 宮本百合子 「世紀の「分別」」
・・・日本の徳川末期、町人階級はそれを川柳・落首その他だじゃれに表現した。政治的に諷刺を具体化する境遇におかれていない鬱屈をそのようにあらわした。十八世紀のイギリスで、当時の上・中流社会人のしかつめらしい紳士淑女気質への嘲笑、旧き権威とその偽善へ・・・ 宮本百合子 「政治と作家の現実」
・・・ヨーロッパの近代文学におけるデカダンス、エロティシズムは、つねに、小市民的町人的モラルにたいする反抗として現われました。日本の近代文学におけるデカダンスやエロティシズムは、封建的な形式的道義・習俗にたいする人間性の叛乱としてあらわれたもので・・・ 宮本百合子 「一九四六年の文壇」
・・・それは封建時代の昔から、「百姓、町人」の間にききつたえられ、語りつたえられているテーマだからである。「太閤記」は古く日本につたわっている。芝居もある。猿面冠者の立身物語は、そのような立身をすることのない封建治下の人民に、人間的あこがれをよび・・・ 宮本百合子 「その柵は必要か」
・・・宗房より二つばかり年上であった大阪生れの西鶴は、通称を平山藤五と云い、有徳な町人であった。妻に早世され、娘を早く喪ってからは店を手代にゆずって僧にもならず一種の楽隠居で、半年は旅に半年は家居して暮すという境遇の俳人、談林派の宗匠であった。町・・・ 宮本百合子 「芭蕉について」
・・・九鬼氏は、粋の要素の一つである意気張りというものを、武士の伝統が町人階級の感情と溶け合った如く観ていられるが、それは事の実際ではなかろう。意気地こそは、封建社会の庶民が寧ろ武士の強権に反撥して胸底深く抱いた感情である。横光利一氏など、義理人・・・ 宮本百合子 「文学上の復古的提唱に対して」
・・・ こういう大将は、地下の分限者、町人などにうまく付けこまれる。やがて、家風が町人化し、口前のうまい、利をもって人々を味方につける人が、はばを利かしてくる。百人の内九十五人は町人形儀になり、残り五人は、人々に悪く言われ、気違い扱いにされて・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
出典:青空文庫