・・・私は、留置場に入れられた。取調べの末、起訴猶予になった。昭和五年の歳末の事である。兄たちは、死にぞこないの弟に優しくしてくれた。 長兄はHを、芸妓の職から解放し、その翌るとしの二月に、私の手許に送って寄こした。言約を潔癖に守る兄である。・・・ 太宰治 「東京八景」
・・・その夜は、留置場にとめられ、朝になって、父が迎えに来て呉れて、私は、家へかえしてもらいました。父は家へ帰る途中、なぐられやしなかったか、と一言そっと私にたずねたきりで、他にはなんにも言いませんでした。 その日の夕刊を見て、私は顔を、耳ま・・・ 太宰治 「燈籠」
・・・ メフィストフェレスは雪のように降りしきる薔薇の花弁に胸を頬を掌を焼きこがされて往生したと書かれてある。 留置場で五六日を過して、或る日の真昼、俺はその留置場の窓から脊のびして外を覗くと、中庭は小春の日ざしを一杯に受けて、窓・・・ 太宰治 「葉」
・・・麻雀賭博で、二度も警察に留置せられた。喧嘩して、衣服を血だらけにして帰宅する事も時々あった。節子の箪笥に目ぼしい着物がなくなったと見るや、こんどは母のこまごました装身具を片端から売払った。父の印鑑を持ち出して、いつの間にやら家の電話を抵当に・・・ 太宰治 「花火」
・・・ 自動車に乗せられ、窓からちまたを眺めると、人は、寒そうに肩をすくめて、いそがしそうに歩いていた。ああ、生きている人が、たくさん在るのだ、と思った。 留置場へ入れられて、三日、そのまま、ほって置かれた。四日目の朝、調室に呼ばれて、・・・ 太宰治 「火の鳥」
・・・牢屋や留置場の窓の鉄格子、工場の窓の十字格子。終わりに近く映出される丸箱に入った蓄音機の幾何学的整列。こういったようなものが緩急自在な律動で不断に繰り返される。円形の要素としては蓄音機の円盤、工場の煙突や軒に現われるレコードのマーク。工場の・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・しかし利平は黙って答えないが、いうまでもなく、それは今朝、留置場から放免されて帰って来た争議団員たちを、他の者たちが歓迎しているのだ 利平は驚いた。暗い処に数十日をぶち込まれた筈の彼等の、顔色の何処にそんな憂色があるか! 欣然と、恰も、・・・ 徳永直 「眼」
・・・金張りの素通しの眼鏡なんか、留置場でエンコの連中をおどかすだけの向だよ。今時、番頭さんだって、どうして、皆度のある眼鏡で、ロイド縁だよ。おいらあ、一月娑婆に居りあ、お前さんなんかが、十年暮してるよりか、もっと、世間に通じちまうんだからね。何・・・ 葉山嘉樹 「乳色の靄」
・・・の冒頭の文章では警察と留置されていた自分の関係がぼやかされていて、きょうの読者の理解には不便である。「わが父」のはじめも、父の葬儀のため市ヶ谷刑務所から仮出獄したわたしが再び刑務所に戻って、裸にされて青い着物を着たときの事情が、わかりにくく・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第五巻)」
・・・それを私は私の目で、警察の留置場で見た。留置場へは、プロレタリア文化活動に従うという理由にならぬ理由によって入れられた。勤労階級は歴史の合理性によりその歴史的任務を実践する過程においてつねに支配権力と抗争するのであるから、従って私ひとりが一・・・ 宮本百合子 「一連の非プロレタリア的作品」
出典:青空文庫